あんなこと、こんなこと | 空の続きはアフリカ
ブラックベリーでスペインが身近に?

【2010.10.18 Monday 03:01
 私は正直言って、デジタル系、IT系の知識に乏しい。

う〜ん、習う機会はあったはずなんだが、「ああ、それは私たちがやるから、こっちの仕事をしてくださいね」という優しい、いや、時間がかかることを見とおされていた周囲によって、甘やかされていたのだ。

で、当然、この頃自分でいろいろしなくちゃいけないことが増えてきた。

と、思いきや、いやいや、助っ人は出てきてくれるのよね。

私のあまりのおたおたぶりに、ノリさんとか、南ア人、日本人の生徒たちが、何やら面倒をみてくれる。

何回か前の空色庵でも書いたとおり、じゃじゃじゃじゃ〜ん!私のブラックベリーちゃんも、ちゃんと日本語を認識するようになりました。

これは、英語の生徒たちをカレーランチでおびき寄せ、いろいろコンピューター上を探してもらって、助けてもらったのだ。

ありがとう〜、皆さん!

さて、今日はそのブラックベリーで起こった、なんとも不思議なことをご報告。

もしかしたら日本ではこのブラックベリー、あまり人気がないのかもしれないのだけれど、南アとか欧米ではIphoneよりも、こちらの方が機種として先行していてとっても人気がある。

おまけに、南アではここにきて価格が、ぐ〜っと下がったこともその人気に拍車がかかっている理由だと思う。現在、一番安価な月極め契約(最低2年間)で、月額2000円。その契約にはBBの本体がついてきて、月額2000円程度の通話ができる。

このブラックベリー、もちろん、デジタル音痴の私ですからね、そんなに機能を万全に使いこなしているとは思わない。それでも、そんな私が一番重宝しているのは、ブラックベリーユーザー同士なら無料のブラックベリーメッセンジャー。

これは、ユーザー同士が、それぞれのハンドセットに登録されている、PIN番号というものを登録しあうとその番号同士のメッセージのやり取りは無料になるというもの。お互いを知っているからPIN番号を教え合うわけだから、安全だし、経費削減もできる。

ところが、ある日、まったく覚えのない番号から、「私を登録してね」のメッセージが入った。

「私のPIN番号を知らないと起こるはずのないことだから」と、あまり深く考えずに、「OK!」とさっさと登録した間抜けな私。

すると、その登録された番号の持ち主は、『Ioana』という名前の人だった。

えっ、これ,誰?

と一挙に広がる不安。

恐る恐る、その人に「あなたはだあれ?」とメッセージを送ってみた。

すると、即、帰ってきたのが、「ええ?あなたは誰なの?」という返事。

う〜ん、おかしい。

二人で「おかしい」、「おかしい」とメッセージをやり取りしながら分かったのは、このIoana さん、スペイン在住の19歳!の女子学生だった。

彼女も私が52歳の南ア在住の日本人、ということが分かると、「かっこいい!」って。

で、二人でお互いの家族のこととか。何をしているか、などなどしばし、楽しい時間を過ごした。

その後、彼女は即、「Are you on Facebook?」と聞いてきたので、「あまりアクティブではありませんが、はい、Facebook にも登録してますよ」と言うがいなや、もう彼女は私を彼女の友達として登録してくれたのだ。

私もせっかくなので、彼女のページに行ってみると、おお、とっても19歳とは思えないくらい大人っぽい、スペイン美女が!

う〜ん、日本ではネット上で、本名などを明かすことをとっても避ける傾向があるようだが、現在、英語圏で、特にこの Facebook はほとんど本名でいろいろなことが書きこまれている。写真だって、日本のように、顔をぼかしたり、隠したり、なんていうことはほとんどない。少なくても、私の周りで Facebook をしている人はそういうことをしていない。

これって、どこがどう違うんだろう。

日本だけがネット上のマナーが極端に悪い、ということも考えにくいのだけれど、本当に不思議だ。

私は文章を書いてお金をいただく仕事もさせていただいているから、自分の文章は常に本名、写真も隠さずに使ってきた。自分の書いたものを、本名を付けて出せないものは、私はどこにも公表しようとは思わない。

これは、私が常に目標にしている、自分の言うこと、書くことと自分の行動を少しでも近づけたい、という信念にも沿っていることなんだと思う。

そんなことを考えながら、それでも、こうやって思いもがけず、自分の子どものような年齢のスペインの女性とこんな不思議なきっかけでお友達になるなんて、なんていい時代に生まれてきたんだろう、とつくづくおばあさんのようなことを思って、にこにこしている。 

author : y-mineko
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ごっつん、とぶつけて

【2010.08.17 Tuesday 05:14
私の車は、家の近所のショッピングセンターの駐車場で、両隣に背の高いトラックが留まっていて、ほとんど何も見えない状態。

で、そろりそろりと動く私に後ろから、トラックが“ごつん”とぶつかる音が……。

私はこういうことが起きると、「はあ〜」という深いため息がでる。

パニックになる、ということはほとんどない。でも、がっかりする。南アフリカで、こういった事故によって起こる後始末の面倒くささを熟知しているから。

さて、そんなことよりも、この“事故”の相手は、白人の、あまり裕福層ではないおじさん。


その彼は、

「Lady, these things happen, OKAY!」

とまくしたて、私に保険会社に請求しろ、と言い残し、去って行こうと。まあ、名前と電話番号はかろうじて入手。

彼は、「まあ、奥さんよ、こういうことは人生起こるんだから、仕方ねえだろう」

という態度。

私は、その場で気のきいたことが言えないアホなところがあるので、

「えええ?この人、なに?」

とか思っているうちに状況が動いて行ってしまうことが多々ある。

子どもたちからは、

「お母さん、とろい!」

と。

で、この人が、突然、車を走らせる前に

「Do you have a husband?」

と私に聞いたのだ

正直に答える必要なんか、まったくないのに、

「NO!」

と条件反射のように、大きな声で答えてしまった大馬鹿な私。

でも、なんで?
なんでダンナがいることがこれに関係あるんだろう?などと、考えこむ。

つまり、「オンナ」では、こういった事故の処理なんかできないだろう、と考えられたのだろうか。後からむやみに腹がたつ。

その後、なんと、このおっさん、自分で、

「クレームするんだったらお互いの保険を使う、それでおしまい」

とか言っていたくせに、数日経ってから、

「相手の女が悪い、自分の免責分も彼女に払わせろ」

と、保険会社にいいがかりをつけてきた。

そこで、遅ればせながらも、私は、警察に出向き、状況をレポート。

担当の警察官が、「う〜ん、一日遅いなぁ」とため息。どうやら、こういった事故は発生から48時間以内にレポートを提出する義務があるのだとか。

私が

「ごめんね、知らなかったの。どうしたらいいですか?実は、これこれこうで……」と説明すると、

「よし、そういうことか!俺に任せろ、ここの日付を一日ごまかすね」

といいながら、ちゃちゃちゃ!と日付を変更!

ああ、私、アフリカ人、大好き。

で、保険会社からいろいろ電話がかかってきていたので、どういう状況だったかを説明。

すると、保険会社のお姉さんたちも、彼がこういった、ああいった、ということを説明するときに、「Do you have a husband?」などという性差別発言をしたことを付け加えると、

「Don't worry!  I will sort it out !」
「心配しないで!あとは任せなさい」

とみんなが一緒に怒ってくれて、ここでも、私は、ああ、アフリカ大好き!と再度感激。

日本だと、こういった事故処理の顛末で、ここまでどちらかをエコひいきをするなんてありえないと思うのだが、う〜ん、そこは南アフリカ、先進国のようでいて、そうでもない、人情味たっぷりのお国柄。

南アって、いいでしょう?


author : y-mineko
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アタラシイコト、始めています!

【2010.08.02 Monday 12:38
7月から、「吉村峰子改造計画」が着々と進んでいる。

今まで苦手だったことも積極的に頑張って行こう!という元気が湧いてきているのだ。

まず、この“スマートフォーン”と呼ばれる携帯電話のブラックベリー。日本では、Iphone が主流のようだけれど、南アでは圧倒的にこのブラックベリーに人気がある。



これは、メールもインターネットも何でもできちゃう携帯電話。それに嬉しいのは、キイボードが普通のPCなどと同じ配列で並んでいるので、PCに向かって仕事をしている時間が圧倒的に多い私にとっては、本当に使いやすい。

ブラックベリー・ユーザー同士ならば、メッセージも無料で送ったり受け取ったりできることも大変よろしい。

一つだけ、まだ実現していないのだが、どうやら、このブラックベリーは、PCにつないで情報をダウンロードすると、日本語も読めて、書けるらしい。ということは、日本人同士でメールを交換する時のあの、ローマ字表記の日本語から解放される、ということではないか!

これは画期的なことだと思う。

が、残念ながら、このダウンロードに何回トライしても失敗している。ここは日本人でこういったことに詳しい人にお願いするしかないのかな。

さて、「吉村峰子改造計画」の第二弾は、ほほほほほ〜、なんと私は近所のジムに通いだしたのだ。これはやはり一人親になってしまったので、子どもたちのためにも、身体を鍛えて、ずっと健康でいることがとっても大切だ、と骨身にしみて思うようになったから。

そこで、近所のジムを何件か下見に行ってみると、いや〜、中にはとんでもないところもあるのに驚いた。

だって、この3月くらいから営業を開始している家の近所にできたジムなんて、なんと、メンバーの写真がずらりと張られていて、“Before and After”を大体的に宣伝している。が、問題は、その写真、かなり年配の、かなり年季の入った太り方の女性でも、ビキニ!を着せられて、写真に写っているではないか。

「……もしかしたら、すべてのメンバーがこの写真を撮るの?」

と恐る恐る聞いてみたら、

「もちろん!」

とニコニコ。もうこれだけで、私は退参モード全開……。

その上、経営者の男性の、受け付けのお姉さんと一緒に、このジムの説明をしてくれたときに、とっても気になる一言があった。

「ジムに通うことを人生の中心にしてほしい」

ビキニですっかり弱腰になっていた私はさらに追い打ちをかけられるような、この発言でこのジムには通えないな、との結論が……。私がジムに求めているのは、健康のための筋力つくりであって、ジムを中心に人生を考えるなんて、とっても不自然だもの。

そして、次に見学してみたのは、私の友人サリーが一家で通うプライベートなジム。ここは、他のところに比べるとやや会費が高いものの、入会金もなければ、時間も次の日に決定できるような自由さがあった。

そして、私のトレイナーは、ギャレス君。弱冠26歳。う〜ん、身長2メートルは軽く超えているかな?クマのぬいぐるみがあるいているような彼は、その大きな身体にソグワナイ?くらい、繊細に気が遣える青年で、女性の参加者に人気が高いのがよくわかる。



足がつる癖のある私が、ジムの練習中に足をつらせると、根気よくマッサージもしてくれて、本当に助かる。確かに、このジムに通い始めてから、深夜に足がつって、目が覚めることが劇的に減った。稔が生きていたころは、そういう時にマッサージをしていてくれたから、これは本当に思わないところでの嬉しい展開。

さてさて、「吉村峰子改造計画」の第三段!

これは、この空色庵の他の住人からも、折につけお願いされていたのに、なかなか重い腰を上げなかった、Twitter での発信だ。

だって、どうして、こんな私の“つぶやき”を、他の人が興味があるのだろう?とややカイギテキに思っていたのも事実。

「う〜ん、でも、でも、日本語で私が南アから“つぶやき”を重ねても、何が起こるのかなぁ……。エッセイでの発信はカフェグローブと空色庵でしているし……」

とぐずぐずしていた背中を押したのは、日本語を話さない、読まない友人からの一言だった。

「あなた、日本語では発信しているようだけれど、英語ではしていないじゃない。Twitter でもしてよ」

膝を打ちました!

そうか、英語での発信であれば、ここに書くようなこととはちょっと違う私の、その場、その場での考えを“つぶやく”意味があるように思えた。

……と言うわけで、どうぞ皆様、英語の勉強をしている方、私の元生徒の皆さま、そして、英語を読む皆様、どうぞ、Twitter で私を Follow してくださいね〜!基本的には英語での発信です。

http://twitter.com/minekoyoshimura

そうそう、改造された吉村峰子が何をしたいかは、追々!



author : y-mineko
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私の方が絶対正しいのに!

【2009.12.13 Sunday 00:35
先日、カフェグローブの記事に、南アの最大黒人部族のズール族の「収穫祭」で行われる雄牛を生贄にする儀式のことを書いた。

これは、まさに、異文化の価値観の対立。

私は国際理解教育の理念を伝えるための英語の教材を作成する教育団体を主宰していたときに、日本の子どもたちに、「知らないこと、新しいことを、“いやだなぁ、私と違うなぁ”ではなくて、“へえ〜、おもしろい!”と受け止める方が楽しいよ」というメッセージを送り続けた。

彼らには、自分と違う文化を生きる人たちにも、自分と同じような感情があり、どんなに違うと思われる環境でも、“楽しい”とか、“悲しい”とか、“嬉しい”という心の動きが存在して、それは私たちの紛れもない「共通の財産」だということを理解して欲しかった。

この気持ちは今でもまったく変わっていない。

でも。

アフリカで生活してきて、本当の、本当の実態、自分と異なる異文化を受け入れる、ということは、そんなに甘くないことも知っている。

特に、自分が大切にしてきている“価値観”が、圧倒的大多数に否定されてしまうような場面が、アフリカでは起こりうる。

例えば、簡単なことなのだが、レストランなどのサービス業で、お客さまに対して、絶対笑顔で対応したほうがいい、と私は思う。だって、“サービス業”なんだから。でも、それがかなわないこともある。“サービス”という概念があまり発達していないのかもしれない。

南アのスーパーマーケットで、買い物が終わってお金を払うと、私は毎回、「Thank you!」と言ってしまう。そうすると、レジのお姉さんが時折、「That’s OK」という。

何かがおかしい!私が買い物客なのに……。

「とほほ」と思いながら、でも、こちらの「ありがとう」は、引っ込めようがないくらい骨身に染みついた習慣だから仕方がない。

でも、こんなことはまだいい。

私がリベリアの小学校で、“教頭”に近い権限をもらってある私立学校で働いていたことがあったときのこと。私はこの学校で日常的に行われる体罰が嫌だった。朝の朝礼で、見せしめのように理事長が子どもを棒で殴ることもあった。足など、皮膚が破けて血が出るまで殴り続けるのだ。

職員会議で話題にしたら、一言、「これはアフリカの習慣だから、いいのだ」で一蹴にされた。これは、今から20年以上前の1988年くらいのことだ。

髪の毛が抜けるほど悩み、苦しみ、自分の考えていることのほうが、絶対に「正しい!」と夕日に向かって叫んでも、その自分の正しさを圧倒的な大多数の反対意見の前に、一時的にでも、いったんは引っ込めなくてはいけない、という経験。

そりゃあ、人間が鍛えられます、はい。

で、次はその苦境からの脱却、いえ、復活をどうしたらいいか、ということになるわけで。

私のしてきたのは、めげずに、その主張を何回でも、何十回でも、何百回でも言い続ける、というロバさんやラクダさんの歩みのようなこと。でも、苦しいながらも、それは笑顔と一緒にしてきた。

そして、たまには、飴やガムやお寿司、などというワイロもこそこそと出してきていることも告白してしまう!

そうすると、頑固にこちらの意見をはねつけていた圧倒的多数の人たちも、一人二人、こちらの意見に耳を傾けてくれるようになるのだ。

リベリアのこの学校での体罰は、無くなりはしなかったけれど、確実に回数は減ったことを実感した。やはり、あの頃のリベリア人だって、外国人から「それはおかしいよ」と言われることに敏感になったのかもしれない。

私はかなりのツワモノのコミュニケーターだと自分でも自負している。

たとえ、最初はまったく共通の認識などペンペン草も生えないような荒地状態だったとしても、何とか、時間をかけてヒビだらけの荒地からひょろひょろとした草が出てくるような場面にたどり着くまであきらめない。

そうすると、どうやって、この「あきらめないエネルギー」を維持していくのか、というのがこの次の問題になるのだが、私の場合は至極簡単。自分のいる立場、つまり、異文化を直視しつつ、その違いを受け入れ、なおかつ、皆で前進していこうよ、という一連の状況を奇跡のようにありがたいこと、と自分で納得し、そのことに感謝できるので、「いくぞ〜、前進あるのみ〜!」のエネルギーは、途切れることがない。

それと、常に思うのが、「自分の価値観を尊重して欲しい、と思ったら、相手のそれも尊重しないとね」という単純なこと。

それから、前回の記事でもかいた「ウレシイコト」が、私の場合、とっても簡単に見つかるので、そんなことも私を後押ししてくれる。こんな私のアフリカでの暮らしや仕事ぶりを文章にすることで、たくさんの人がメールや手紙をくれたりもする。

日本に帰ると、「さあさあ、一緒に日本の美味しいものでも食べよう」と友人たちが集まってくれる。何年か一遍にこんなことがあるだけでも、私にはとっても大きな励みになる。単純に「嬉しいなぁ」と心が温かくなる。

自分と異なる意見の中での折り合いの見つけ方。
いらいらしたり、投げ出したくなったり。

これはきっと、ぶっつり口をきかなくなってしまったムスコやムスメと格闘しているお母さんやお父さん、普天間基地をどうしようかと悩んでいる日米の政治家たち、はたまた、一頭の雄牛を何とか苦しむ死から救ってやりたい、と願う動物愛護団体の人たち、みんなに共通の事なんだと思う。

だって、それぞれが「自分が正しい」と主張して譲らないわけで、でも、なんらかの解決策を出していかないと、にっちもさっちも行かないわけで……。

自分の主張を通すためには、ゆっくりじっくり、そして相手の立場もゆっくりじっくり理解しよう、というのらくら作戦がいいと思う。短気な人も、のんびりな人も、大きく深呼吸をして、相手を尊重しながら進むしかないのよね。



author : y-mineko
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「ウレシイコト」を増やすには

【2009.11.30 Monday 00:34
 人の「しぐさ」に励まされる、ということが私には多い。

ここダーバンでも私はNHKの朝の連続ドラマを毎日楽しみに見ているのだが、この番組が放送されるのが、こちらの朝の5時45分から。日本の昼の再放送の時間帯だと思う。

このドラマのあと、男性のアナウンサーが「一時になりました、ニュースをお伝えします」と言って、お昼のニュースを報道する。

その前、ほんの一瞬、彼の視線が下から上にあがってくる。その時、唇の在り方や目の雰囲気、頬の動きから、「ああ、この人も連続ドラマを見ていたな」ということが見て取れる。もちろん、彼がそこの席であの15分のドラマを全部見ていた、ということはないのかもしれない。でも、確実にドラマの筋を追っている、と分かるのは、彼の表情がドラマの流れによって、弱冠、曇ったり、明るくなったりするからだ。

でも、その、ほんの数秒の表情で、このアナウンサーと私のいる距離が吹っ飛ぶ。

「ふふふ、あなたも見ているのね」

という親近感。

米国での学生生活を終えたあと、東京のテレビ制作会社に数カ月ほど勤めたことがある。もともと教育関係の勉強をしていた私にとって、ここでの仕事は驚くことばかりだった。どんな番組を作っていたか、というと、この会社は、米国の公共放送向けに、日本の文化などの紹介する短い番組を制作していた。

櫻井よしこさんや幸田シャーミンさんなどがナレーターとして番組に登場していた。まだ櫻井さんが夜のニュースキャスターを始めたころだった。

テレビ番組の制作、というまったく路線の違う仕事はおもしろかったけれど、働く時間帯やら人間関係やらが私には馴染めなく、立派な名刺を作ってもらったのにも関わらずわずか数カ月で退職させてもらった。

でも、そのときの経験から、私はとっても大切なことを学ばせてもらった。

それは、一見、ものすごく「くだらない」と思えるような番組であっても、そこには、多くの黙々と働くたくさんの人がいる、ということ。

テレビ番組制作というものが、あれだけ大掛かりなものである、と知ったのはここでの仕事を経験したからだった。

南アフリカにいながら、衛星放送を通して日本のNHKが見られる、という時代を本当にありがたく思う。ニュースは同時に、連続テレビドラマも、大河ドラマも放送してくれる。そんな中、たまに目にする番組の「視聴率」だの、「評判」だのについたものを読んでみると、結構多くの人が、番組のことを最初の数回で、「これはおもしろくない」とか、「前作の方がよかった」などというネガティブな反応をしていることにびっくりする。

私には、「つばさ」も「天地人」も、とっても、とっても楽しかった。

私は英語と日本語の教師だから、その教授法とか、教え方、生徒への接し方などには確かにウルサイし、日本中を敵に回してケンカしていたような時期もある。

それから、人権とか、人種差別に関してウルサイ。これは子どもでも許さない。メディアに現れる文章にそういったことが気になると、きちんと文章で抗議するのも私です。

批評眼を持つことは良いこと。
どうしてかな?どうしてこうなるのかな?と考えるのはとっても健康的なこと。

でも、最初から否定的な見方をするのはもったいない、と思う。

自分の仕事とか、作業に力が入るのは当然のこと。でも、それ以外、そう自分の中で重要性の高くないものに対しては、ハードルの高さを下げていいんじゃないか、と私は思う。

そうすると、自然に「ウレシイコト」が増えてくるような気がする。

私にとって、毎日連続ドラマが見られることも、「ウレシイコト」のひとつなのだ。それに、登場する主人公たちの日常風景や考え方は、アフリカにいる私にとって、現在の日本を知る大切な情報源でもある。

それに、NHKの連続ドラマの、あの一回15分という長さも、いつでも忙しい私にぴったりの長さ。

だから、連続ドラマの半年の期間が終わって、次のシリーズに移ると、最初の1週間は「さびしいなぁ」と感傷にふけってしまう。半年かけて家族のように追ってきたドラマの主人公たちが一遍に変わってしまうからだ。でも、それも週を追うごと、新しいドラマに馴染んでいくようになる。

そして、その新しい主人公たちの応援団となる。

私は、若いころから日本を離れて生活しているくせに、日本人の優しさ、とか律義さとかが大好きなんだと思う。NHKのドラマにはそんな日本人がたくさん出てくる。もちろん、現実の日本は世知辛いことも増えてきているし、アフリカで生きることを選択した私には、信じられないような日本のニュースが流れてくることもある。

だからこそ、ドラマの中で繰り広げられる優しい、律義な日本人の物語が単純に嬉しいのだ。

そして、そのドラマを見守っているような「しぐさ」を、ニュースを読む前のアナウンサーに見ることは、私に不思議な連帯感を運んできてくれるのだ。

こんなことも私の「ウレシイコト」で、テレビを見ながら、「さあ、今日もがんばるぞ〜」と、思うのだ。


author : y-mineko
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吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)