私の方が絶対正しいのに! | 空の続きはアフリカ
<< 「ウレシイコト」を増やすには | main | ネル…と聞くと涙が出るわけ >>
私の方が絶対正しいのに!

【2009.12.13 Sunday 00:35
先日、カフェグローブの記事に、南アの最大黒人部族のズール族の「収穫祭」で行われる雄牛を生贄にする儀式のことを書いた。

これは、まさに、異文化の価値観の対立。

私は国際理解教育の理念を伝えるための英語の教材を作成する教育団体を主宰していたときに、日本の子どもたちに、「知らないこと、新しいことを、“いやだなぁ、私と違うなぁ”ではなくて、“へえ〜、おもしろい!”と受け止める方が楽しいよ」というメッセージを送り続けた。

彼らには、自分と違う文化を生きる人たちにも、自分と同じような感情があり、どんなに違うと思われる環境でも、“楽しい”とか、“悲しい”とか、“嬉しい”という心の動きが存在して、それは私たちの紛れもない「共通の財産」だということを理解して欲しかった。

この気持ちは今でもまったく変わっていない。

でも。

アフリカで生活してきて、本当の、本当の実態、自分と異なる異文化を受け入れる、ということは、そんなに甘くないことも知っている。

特に、自分が大切にしてきている“価値観”が、圧倒的大多数に否定されてしまうような場面が、アフリカでは起こりうる。

例えば、簡単なことなのだが、レストランなどのサービス業で、お客さまに対して、絶対笑顔で対応したほうがいい、と私は思う。だって、“サービス業”なんだから。でも、それがかなわないこともある。“サービス”という概念があまり発達していないのかもしれない。

南アのスーパーマーケットで、買い物が終わってお金を払うと、私は毎回、「Thank you!」と言ってしまう。そうすると、レジのお姉さんが時折、「That’s OK」という。

何かがおかしい!私が買い物客なのに……。

「とほほ」と思いながら、でも、こちらの「ありがとう」は、引っ込めようがないくらい骨身に染みついた習慣だから仕方がない。

でも、こんなことはまだいい。

私がリベリアの小学校で、“教頭”に近い権限をもらってある私立学校で働いていたことがあったときのこと。私はこの学校で日常的に行われる体罰が嫌だった。朝の朝礼で、見せしめのように理事長が子どもを棒で殴ることもあった。足など、皮膚が破けて血が出るまで殴り続けるのだ。

職員会議で話題にしたら、一言、「これはアフリカの習慣だから、いいのだ」で一蹴にされた。これは、今から20年以上前の1988年くらいのことだ。

髪の毛が抜けるほど悩み、苦しみ、自分の考えていることのほうが、絶対に「正しい!」と夕日に向かって叫んでも、その自分の正しさを圧倒的な大多数の反対意見の前に、一時的にでも、いったんは引っ込めなくてはいけない、という経験。

そりゃあ、人間が鍛えられます、はい。

で、次はその苦境からの脱却、いえ、復活をどうしたらいいか、ということになるわけで。

私のしてきたのは、めげずに、その主張を何回でも、何十回でも、何百回でも言い続ける、というロバさんやラクダさんの歩みのようなこと。でも、苦しいながらも、それは笑顔と一緒にしてきた。

そして、たまには、飴やガムやお寿司、などというワイロもこそこそと出してきていることも告白してしまう!

そうすると、頑固にこちらの意見をはねつけていた圧倒的多数の人たちも、一人二人、こちらの意見に耳を傾けてくれるようになるのだ。

リベリアのこの学校での体罰は、無くなりはしなかったけれど、確実に回数は減ったことを実感した。やはり、あの頃のリベリア人だって、外国人から「それはおかしいよ」と言われることに敏感になったのかもしれない。

私はかなりのツワモノのコミュニケーターだと自分でも自負している。

たとえ、最初はまったく共通の認識などペンペン草も生えないような荒地状態だったとしても、何とか、時間をかけてヒビだらけの荒地からひょろひょろとした草が出てくるような場面にたどり着くまであきらめない。

そうすると、どうやって、この「あきらめないエネルギー」を維持していくのか、というのがこの次の問題になるのだが、私の場合は至極簡単。自分のいる立場、つまり、異文化を直視しつつ、その違いを受け入れ、なおかつ、皆で前進していこうよ、という一連の状況を奇跡のようにありがたいこと、と自分で納得し、そのことに感謝できるので、「いくぞ〜、前進あるのみ〜!」のエネルギーは、途切れることがない。

それと、常に思うのが、「自分の価値観を尊重して欲しい、と思ったら、相手のそれも尊重しないとね」という単純なこと。

それから、前回の記事でもかいた「ウレシイコト」が、私の場合、とっても簡単に見つかるので、そんなことも私を後押ししてくれる。こんな私のアフリカでの暮らしや仕事ぶりを文章にすることで、たくさんの人がメールや手紙をくれたりもする。

日本に帰ると、「さあさあ、一緒に日本の美味しいものでも食べよう」と友人たちが集まってくれる。何年か一遍にこんなことがあるだけでも、私にはとっても大きな励みになる。単純に「嬉しいなぁ」と心が温かくなる。

自分と異なる意見の中での折り合いの見つけ方。
いらいらしたり、投げ出したくなったり。

これはきっと、ぶっつり口をきかなくなってしまったムスコやムスメと格闘しているお母さんやお父さん、普天間基地をどうしようかと悩んでいる日米の政治家たち、はたまた、一頭の雄牛を何とか苦しむ死から救ってやりたい、と願う動物愛護団体の人たち、みんなに共通の事なんだと思う。

だって、それぞれが「自分が正しい」と主張して譲らないわけで、でも、なんらかの解決策を出していかないと、にっちもさっちも行かないわけで……。

自分の主張を通すためには、ゆっくりじっくり、そして相手の立場もゆっくりじっくり理解しよう、というのらくら作戦がいいと思う。短気な人も、のんびりな人も、大きく深呼吸をして、相手を尊重しながら進むしかないのよね。



author : y-mineko
| あんなこと、こんなこと | comments(4) |

この記事に関するコメント
こんばんわ 峰子さん
いつも峰子さんの言葉をゆっくり味わい・はんすうしながら楽しく読ませていただいています。
今AUSに住んでいるんですが、ジュース片手におつりを渡されると、一瞬それを置いてくれないかな・・って思います(苦笑)峰子さんほど深刻な事ではないですが・・・
帰国まで5ヶ月になり、語学面での伸び悩みに真剣に悩みつつパーティーに出かけてしまう日々です;;現地の友達と過ごせば過ごすほど、西洋人のパーティー文化のなかで背伸びしてる自分に正直少し疲れています・・・浅く広く人と付き合うのは楽ちんですが少しさみしくもあります・・・
気持ちで伝わる事もたくさんあるけど、やっぱり言葉で伝わる気持ちもありますよね・・・明日は早起きして勉強がんばります^^
| なおち | 2009/12/20 1:03 AM |
なおちさま、

そうですか、なおちさんはきっと、いま、「言葉の壁」にぶち当たっているのですよね。どんな勉強方法をしているのでしょうか。

確かに、買い物や決まり言葉だけならば、ネイティブスピーカーのたくさんいる場所にいるだけで、上達するのです。でも、それ以降は、やはり読んだり、書いたり、という部分を鍛えないと、なかなか語学は上達しないのです。

なおちさんが読書が嫌いでなかったら、現地の友人たちの話題になっているベストセラーなどをがんばって読んでみませんか。そしてそれについて話ができるような機会を作れますか?これは、上級編のお勧めの勉強字方法ですよ〜。ぜひ試してみてくださいね。

| 吉村峰子 | 2009/12/20 4:02 PM |
カフェグローブのブログと共に、いつも拝読させていただいております。

おかしいと思うことは、何回でもずっと言い続ける。エネルギーを維持しながら・・・という姿勢に頭が下がります。
コミュニケーションは、諦めたら終わり、ですものね!
見習います!
| | 2009/12/22 9:09 PM |
コメント、ありがとうございます。お名前がないので、お声がかけられませんが、そうです!コミュニケーションの極意は、あきらめないことと、笑顔ですよね。

カフェグローブも読んでくださっているのですね、ありがとうございます。よいお年を!
| 吉村峰子 | 2009/12/24 3:22 AM |
コメントする










吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)