キャシー、そのガンとの闘い方 | 空の続きはアフリカ
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キャシー、そのガンとの闘い方

【2017.06.10 Saturday 22:09

 

「私の人生、本当に、本当に素敵だったのよ。その最後をガンとの闘いで終わらせたくないの」

 

こう言ってほほ笑むキャシーと私のお付き合いは、いまから10年以上前、彼女が私にくれた一本の電話から始まりました。

 

「あなたのことが書かれている新聞の記事を読みました。今度日本に旅行に行く前に、ぜひ日本のお話を聞かせてくれませんか」

 

私が南アフリカに移住する直前に鈴木出版さんから出版させていただいた、『チャレンジ!地球村の英語』の売り上げの一部を地元の小学校に外遊びの器具を寄付したことが地元の新聞に掲載されて、そこから彼女が私にたどり着いたのです。

 

こんな出会いの後、キャシーは文字どおり私たち家族にとって、ダーバンでの大切な家族の一員になってくれました。

 

家族の行事に参加することはもちろん、去年は1200キロもダーバンから離れたグラムスタウンへのロード旅行にも一緒に行きました。娘のショウコが婚約者アディアを連れて来た時、じっと彼の話を聞き、「私たちってなんて幸運なの、こんな素敵な青年が私たちの家族になってくれるなんて」とまで言ってくれるような存在になっていたのです。

 

そのキャシーが、先月、卵巣がん、しかもステージ4の診断を受けました。

 

動揺する私たちに、キャシーは明るく、穏やかにそして笑顔を浮かべて冒頭のようにつぶやいたのです。

 

キャシーは、1938年英国のボルトンという工業の街で生まれました。その頃の若い男女が出会う場であった、ダンスホールで知り合ったアランと19歳で結婚しました。

 

彼女の人生の最大の悲しみは、そのアランとの間に生まれた二人の子どもを、それぞれ6週間と14週間で亡くしたことでした。


二人の赤ちゃんとも、皮膚の再生に関係する同じ病気で亡くなりました。が、その後離婚したアランは、再婚した相手との間に一人子どもを授かっているので、どうやらアランとキャシーの何からの遺伝的要因がかみ合わなかったらしいのです。

 

1965年、彼女はアランと英国から東アフリカに移り住みました。タンザニアに6年、ケニアに2年。英国人駐在員家族として、素晴らしい数年間を東アフリカで過ごしたそうです。

 

ここでの生活が彼女の世界を広げた、と言っても過言ではないそうで、多くの異文化との遭遇によって、これまで彼女の知っていた世界がどんどん広がって行きまた。

 

東アフリカでの8年間が過ぎ、英国へ戻って2年が過ぎました。アランとも感じていた英国での暮らしの閉そく感が彼らをまたアフリカへ向かわせました。その時に選んだ土地が南アフリカのダーバンだったのです。

 

「人生のハイライトは?」

 

という私の質問に、彼女は何の躊躇もなく、こう言いました。

 

「2回も恋に落ちたことよ」

 

アランとの27年続いた結婚が破たんして、一人暮らしを始めた彼女が出会ったのは、当時ダーバンでギャラリーを経営していたゴードンでした。12歳年上のゴードンは、自分も芸術家であり多くの絵画や彫刻の作品を彼女に残しました。

 

彼女が本当に嬉しそうに話してくれたのは、その当時ゴードンがどれだけ素敵で魅力的で、奥様に先立ていた彼がダーバンの多くの女性の憧れの的だったか、ということ。そして、彼が私を選んでくれたのは、本当に思いがけなかった、と頬を染めました。


そのゴードンも病に倒れ、彼女は献身的に看病に当たりました。3年ほどの闘病生活で彼は亡くなりました。それでも、ゴードンとの20年間の生活は精神的に豊かで愛情に溢れ、外国へも旅行したり、素晴らしいものでした。さらに彼の子どもたち、孫たちは現在、キャシーに取ってかけがいのない家族になっています。

 

ゴードンが亡くなって、彼女がしたことは、若い頃からコツコツとお金を貯めて目標にしていた日本旅行でした。それが私との出会いのきっかけでもあります。

 

その他、近所の孤児院で長年子どもたちの宿題などの面倒をみるボランティアも続けていました。

 

こういう風に彼女の人生を辿ってみると、本当に山あり谷ありの中にも、彼女がいかに毎日を丁寧に自分の信念を持って生きてきたかが見えてきます。

 

「ガンの告知を受けてね、精神的にまったく動揺しなかったの?」

 

と、尋ねた私に、

 

「最初はね、確かにショックを受けたわ。でも、もう来年で私は80歳。もうどれだけいい人生を過ごしてきたか。感謝するだけなのよ」

 

彼女のガンの治療の計画は、手術はしない、放射線治療もしない、ということ。とにかく、彼女のQuality of Life(生活の質)を維持するためだけの治療に専念する、ということで本人、家族、医療チームも合意しています。

 

現在、こちらでChemotherapyと呼ばれる化学療法が始まり、9週間に及ぶ、毎週一回3時間半、点滴を受けています。ここで3回目の点滴が終わりました。

 

体調はまあまあだそうです。とにかく、卵巣から始まって、腹部にかなり転移してしまっているガン細胞を小さくして、彼女の体への負担を減らすことが目的です。

 

南アフリカの医療制度は、日本のそれと大きく異なります。まず、国民健康保険というものが存在しないので、保険は各個人が自分で契約しなくてはいけません。

 

彼女の場合非常に幸運で、彼女が20年勤め、60歳で定年退職を迎えた職場、ダーバンの国立大学、Kwazulu Natal University は、1984年以前から勤務していた職員は、退職した後にその月々の契約金を払うことなく、勤務時と同じ保険内容が得られる、という保証をしてくれているのです。彼女は大学のエンジニアリング学科の秘書をしていました。


お金の心配をしないで、治療が受けられるのは本当に幸運です。また、南アフリカは、それこそ、お金さえあれば、先進国に負けないレベルの治療を受けることが可能なのです。


本当に、一回も感情的にならないなんて、どれほどの精神力なのでしょう。そして、彼女の独立心の旺盛なこと。とにかく、どんなときでもどんなことでも、自分でなんでもしたいのです。


彼女は基本的に一人暮らしです。ですから、いま、食事の世話がやや心配で、こちらの友人一同でなんやかやと世話を焼いていますが、それも彼女にとってはどうも負担に感じているようなのです。


「私は大丈夫だから!」

 

と、何回も何回も言われてしまいます。

 

が、そんなことで引っこむほど、関係は薄くないのです。皆が交代でキャシーの「大丈夫だから」を無視して、お節介を続けています。


そんな彼女がこうも言いました。


「一回だけ感情が溢れてきたのよ。それは、トニー(ゴードンの息子)がね、いま駐在しているシンガポールから電話をかけてきてくれた時。電話だったからかしら、励まされて、おいおい泣いてしまったの。受話器からね、トニーの励ましのパワーがどんどん感じられて、肩がふわっと軽くなって、気がついたらわんわん泣いていたのよ」

 

これを聞いて、心から安心しました。

 

「多分、ああやって泣くことも私には必要だったのかも」

 

と、言う彼女です。

 

正直で、一生懸命で、お茶目で、ポジティブで、賢いキャシ―。人生のお手本がこんなに近くにいることに感謝するのみです。


キャシーと私の約束は、来年のショウコとアディアの結婚式には必ず出席する、ということ。それまで、いや、それ以降も、キャシーが安心して、心穏やかに過ごせるよう、お手伝いするつもりです。

 

 

 

author : y-mineko
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吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)