チャンスは何回でも! | 空の続きはアフリカ
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チャンスは何回でも!

【2012.09.28 Friday 05:52
 「みいちゃん、“袖振り合うも多少の縁”って言ってね、知りあった人は大切にするんだよ」

と教えてくれたのは、母方の祖母、あきでした。

辞書を引くと、これは、「袖振り合うも多生の縁」とあり、祖母のものはちょっと変化球です。でも、いいですよね!

祖母は千葉の九十九里に生まれ、幼い頃奉公に出され、縁があって嫁いだ頑固者の祖父との間に14人の子どもに恵まれました。私の母は一番上の娘でした。

その祖母の教えは私の中でとっても強く生きていて、アフリカに住むようになっても、私はあっちこっちで知り合った人にいろいろな関わりをさせていただきながら生活しているのです。

その“関わり”とは、仕事面でのつながりであったり、個人的なものであったりと様々です。

そして、時にはその関わりの中で、痛い、つらい思いをすることもあります。

事の始まりは、今年の3月に知り合ったある外国籍で南アフリカに住む一人の男性です。

この男性、いまから約10年前、自分の妻、娘(八ヶ月)、義理の父の殺人を依頼し実行させた、という疑いで南アの警察に逮捕、拘留されました。

ところが、2年間の拘留の末、裁判所は彼の罪を証明することができず、彼は裁判で無罪を勝ち取りました。

彼は最初からまったくの無罪を主張していました。

では、真犯人は?

という疑問はもっとものことです。

ただ、私がこの原稿で書きたいこととは、真犯人探しのことではありません。

私はここダーバンで、いくつかのNGOに関わっていて、常に彼らの資金探しのお手伝いをしています。

ご存知のように、NGOはどこも台所事情が厳しく、活動費をどう捻出するか、というのは世界各国に広がるNGOの共通の課題です。

いま、いろいろな政府系の団体がNGOに資金提供をしてくれるようになりましたが、中にはその資金の使い道をプロジェクトのみに使用してよい、とか、人件費に使うのはいけない、とかいろいろ規制があります。

また、リーマンショック以来、一般企業からの寄付がかなり厳しくなっているのも現実です。ただ、南アの企業はその規模にもよりますが、法律によって、社会貢献することが義務付けられているので、NGOとしてはまったくチャンスがないわけでもありません。

ただ、正直言って、いくら応募書類を書いてもその成功率はとっても低く、私もどれくらいの応募書類をいままで作成しているか、忘れてしまうくらい挑戦し続けています。

そんなわけで、いけない、いけないとは思いつつ、つい自分のお財布に手を伸ばしてしまうことが多くなります。

友人知人にお願いできることはお願いしていますし、私の友人たちは、かつて私がHIVの患者さんたちと作っていたビーズのブレスレットをまだ販売してくれているのです。本当にありがたいことです。

でも、焼け石に水の例えのように、お金って、定期的に入ってくるものがないと、本当にすぐなくなってしまうのです。

そんな時、犯罪を疑われてその後無罪を勝ち取ったこの男性が、私が関わるあるNGOの資金提供を申し入れてくれたのです。

私は喜んでその申し出を受けました。後でこれが大問題になるとは夢にも思わず……。

だって、私にとって、この男性は過去にそういった疑いをかけられたと言っても、もう裁判で“無罪”を勝ち取っているのです。

ということは、私にとって彼はそこにいる普通の人。私となんら違うことのない、一般市民なのです。

ところが、世間というのはこういう考え方をする人間が多くはない、ということを思い知らされました。

この資金繰りに苦しむNGOの代表と組織の関係者たちが、こう言って彼からの資金援助を断りました。

「火の無いところに煙は立たない」
「OJシンプソンだって、あんなに疑惑は深いのに、無罪になったじゃないか」
「彼の名前をグーグルしたら、ものすごい記事がたくさん出てきた。彼は信用できない」
「NGOとして、自分たちの名前を傷つけることはできない」

私はこの議論を聞いていて、とっても悲しくなりました。

NGOとは、名が示すとおり、非政府系の組織です。私は、非政府系の組織は、政府系の組織に比べて、もっともっと自由に、そして細かく活動ができるメリットがあって好きなのです。

政府系の組織として、亡き夫・稔が所属していたJICAの窮屈さは、私も一時期勤務していた時期もあったので、骨身にしみて知っています。

いわゆる、“お役所の掟”とか、“役所の常識”という見えない壁、ガードに縛られて、なかなか前例のないことができない不自由さは、すべての役所に共通で、その組織内外にいる誰もが体験していることではないでしょうか。

だからこそ、ここで私が応援しているNGOからのこの反応に私はかなりの衝撃を受けました。

私は今までいろいろな組織のトップだったこともありますし、いま二つの会社の経営者もしています。ですから、常にトップとして組織を守らなければいけない立場にいるわけです。従業員とその家族のために責任を取ることの大変さ、というのは極小組織ながらも痛感するところです。

ただ、私はティームプレイの大切さ、連携することの素晴らしさもこれまた骨身にしみて知っているのです。

なので、自分がいかに彼らの判断に反対したとしても、グループの中の圧倒的な反対にあった場合、自分の意見を引っ込める必要があることも知っています。

でも、そういったとき、自分の意見はきっちり伝えておく大切さも。

私は彼らに、こう言いました。

「そんなに彼からの資金援助を断りたいのであれば、それはそれで仕方がないでしょう。でも、私はその判断に賛成しないし、残念だと思う」

そうすると、そのNGOの代表がこう聞いてきました。

「だって、彼の意図がなんであるか分からないじゃないか。もしも彼が私たちを利用したいとしたらどうするんだ?」

私はこの段階で、議論がもう平行線であることを悟りました。

でも、ここが私のがんばり時であることも。だって、こういう時にきちんと自分の考え方を伝えないと、私が何でアフリカにいるのか、ということさえ怪しくなってしまいます。

私は腹をくくって、このまま彼らと決裂することがあっても、自分の考えはきちんと伝えておくべきだと思いました。

「私は例え罪を犯した人でも、もしその人が刑期を終えて社会に戻ったら、もう一回チャンスを与えられる社会がいいと思う。それに、彼は無罪判決を受けているのよ。でも、あなたが心配している彼の本当の思惑。正直言って、そういうことを私はいま心配しない。もしも、彼が何か悪い意図があって資金援助をしたいのであれば、それをさせなければいいだけじゃないの?彼が何をできるのかなぁ。あなたたちの心配しているメディアだって、よく読んでみれば裏づけのないゴシップ記事ということがすぐわかる。噂は消えるし、人はそんなに長いこと、メディアに流れた情報を覚えていない。それに、私たちにしっかりとしたプログラムがあって、それを全うしていれば、何も心配することはないと思う。でも、あなたが資金援助を受けたくない、というのは理解したので、それを変更しろ、とは言っていないのよ。でも、私はその路線は支持しないけれど」

この議論は、場所を変え、方法を変え、延々と続きました。

もしかしたら、彼らの心配するのは当然のことなのかもしれません。この資金援助は実はかなり怪しい動機があるのかもしれません。

でもね、もしも、もしも、その心配が現実に起きてしまったら、それはそのときにまた対処すればいいだけのこと。

起きるかも知れない出来事を心配して人を排除する、人の申し出を拒否するという選択は私にはできません。

もちろん、私だって、もしかしたら私の主張していることが間違っているのかもしれない、という密やかな不安はあります。

でも、いくらそういう不安があったとしても、私は彼らに同調はできませんでした。

だって、何回失敗したとしても、チャンスが与えられる社会のほうが絶対に住みやすいです。またそういう社会を作っていきたいし、そういった新しい覚悟を持つ社会の一員でいたいと思うからです。

誰だって間違いをおかします。だからこそ、間違っても修復することができる、というセーフティネットは大人がみんなで、お互い様で守っていくべきことだと思うのです。

そして、あきおばあちゃんのこの教えがあります。

「袖振り合うのも多少の縁」

せっかくの出会い、せっかくの人生、私はどんなに“単純”と言われようと、心配されようと、その主張によって仲間外れにされようと、前を向いて歩こうとしている人には、何回でもチャンスを与える人でいたいと思うのです。



author : y-mineko
| あんなこと、こんなこと | comments(2) |

この記事に関するコメント
マザーテレサがやはり寄付の問題で窮地に立たされたことがありました。資金援助してくれた人が、マザーの知名度を利用し売名行為をしたのです。マザーはマスコミから叩かれ、「そのような汚い金を返すべきじゃないか?」と迫られました。
毅然と「返します。ついていらっしゃい」と孤児院の中に記者団を連れて行き、「その寄付でここにある子ども達の為の物を買いました。どれでも好きな物をお持ち帰りなさい」と言うと
人々は恥じ入って押し黙りすごすごと帰って行きました。
結局お金は何に使うかが大事であって、そこに価値があると思います。
峰子さん、がんばって。
| みつこ | 2012/10/13 11:43 PM |
みつこさん、

そうですよね。マザーテレサは、「理解されなくても、あなたはそのままあなたの行動を続けない」ともおっしゃっていましたよね。

愚直にがんばります!
| みつこさん←吉村峰子 | 2012/10/20 6:15 PM |
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吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)