ユミコチャン、元気にしてますか? | 空の続きはアフリカ
<< 寿BENTO、がんばってます! | main | チャンスは何回でも! >>
ユミコチャン、元気にしてますか?

【2010.02.10 Wednesday 21:03
ユミコチャンは明るい、将来にいろいろ希望を持った中学生だった。部活も熱心にしていた。

それがある一瞬を境に彼女と彼女の家族の人生をドン底に突き落とした。

中学二年の二学期の体育祭の練習時のこと。彼女は生理の三日目だった。彼女の後ろから同級生の女子たちが近寄り、二回に渡って嫌がる彼女を無視し、その体操服を下着と一緒に足首まで引き下ろしたのだ。

男子生徒、女子生徒、教員が多く見ている中で。

初潮を見たばかりの少女にとってそれがどんな屈辱だったか理解するのに毛虫の想像力だって必要ないと思う。

そして、彼女と彼女の家族を襲ったのは、この直接的な「いじめ」の後にきた、周りの大人たち、子どもたち、傍観者たちのする「二次的いじめ」の波だった。

二次的いじめの加害者たちの言い分はこうだった。

「ウチの子がそんなことされたって何も思わない」
「お宅の娘さんが精神的に過敏なのでは?」
「大人の世界にはこんなことよりひどいことがたくさんある」
「いじめをした、とされている子たちは冗談のつもりだった」
「いじめをした子たち、いつもはいい子たちです」
「いじめをしたって騒いでいるけれど、そんな子たちじゃない。普段の彼らを私はしっているもの」

私は、知人のジャーナリストからこのことを知り、またこの学校の教師や管理職の対応のひどさを知り激怒した。

そして、いても立ってもいられなくなり、自分の人脈をフル活動して、この見ず知らずのユミコチャンを応援することにした。ユミコチャンに寄り添い、励まし、いじめはいけないこと、あなたは何も悪いことをしていない、ということを南アフリカから、メールで、電話で言い続けた。

世界各国に散らばる友人たちに協力してもらい、「ユミコチャン応援団」を作り、世界各国から彼女あてに絵葉書を送り続けた。「一人じゃないよ、みんなで応援しているよ」というメッセージを添えて。

自殺まで試みたユミコチャン。でも、ご両親を始めとする家族の応援で何とか最悪の状況を回避することができた。でも、ユミコチャンと家族の受けた二次、三次の「いじめ」は、これでもか、これでもか、と続いたのだ。

いじめはある。
程度の差はあるにしても、いじめはある。
残念ながらどんな社会にもある。
子どもの社会にも、大人の社会にも。

でも、いじめはいけないことだ。

人を肉体的、精神的に追い詰めたり、傷つけたりすることはしてはいけないことなのだ。

それを大人はありとあらゆる機会を使って、子どもたちに言い続けなくてはいけない。

どうしてか。
私には明確な理由がある。

これだけいろいろな国際社会で暮らしてきて、宗教も習慣も違う人たちの中で暮らしてきて、ひとつだけ実感できることがあるのだ。

人と人とがつながっていく中で、言葉や力を使って、人を傷つけるのは、絶対にしてはいけないことだ、ということ。

子どもにはこれを心の底からしっかりと理解して欲しいと思う。

そして、大人たちにも分かってもらいたいことがある。

いじめを受けた子どもは、いじめを受けたことで、心が痛み、身体が硬直し、自分自身が何をしているかも、どうしていいかも分からなくなっている。

そういう子どもに絶対に言わないで欲しいことがある。

「あなたにも悪いところがあったのかも」
「いじめた子はそんなつもりじゃなかったんだよ」
「あなたも、がんばらなくっちゃね」

という一見、いじめの被害者を励ましているような言葉の数々。

こういった加害者の立場を擁護するニュアンスを含む「叱咤激励」は、いまでは国際的に、それを口にする人たちは、そのいじめの「加害者」に加担することであると認識されている。

そして、もうひとつの大切なこと。

いじめをした子どもたちのケアも間違わないで欲しい。

その「いじめ」をした子は、それまでそんなことをしたこともなかったのかもしれない。その子も何らかの理由があって、表現方法を間違って、そんなことをしたのかもしれない。

でも、自分のした行動で他の子どもが精神的、肉体的に傷ついた、ということは、それは「いじめ」となるのだ、という厳粛な事実を受け止めさせて欲しい。

どんな理由があるにしても、「いじめ」をされて泣いている子がいたとしたら、あなたは「いじめ」をしたんだよ、と。

ここではそのいじめの「程度」は問題ではなく、ただただ単純に、いじめがあったか、なかったか、という一点に焦点を絞ることも大事なこと。

でも、子どもたちの素晴らしさはその嫌な経験から、人生の大切なレッスンを学べることなのだ。

間違ってしてしまったことでも、そういうつもりでなかったとしても、人を傷つけたら、それは自分の責任で、その責任は自分で引き受けなくてはいけない、ということ。

何をすればいいか。

心からその被害者に謝り、自分のしたことを見つめる、ということだ。

意図していなくても、自分がした、言ったことにより、一人の人間が傷ついたのはどうしてか、ということを考える。

そして、その原因をしっかり見つめて、自分はそれでは自分のその時にとった行動以外に何ができたのか、ということを考えてみるのだ。

そんなことがその子たちの大人になってからの生き方につながっていく。

だからこそ、周りの大人のサポート、ケアが必要なんだと思う。

どんなに容姿が美しくても、学校の成績が良くても、お金があっても、芸術的な才能があっても、不幸な人間は世界中にごろごろしている。

どうしてだろう。

様々な理由があることだろう。でも、私は、その中の一つに、人とのつながり方の練習不足があると思う。

結局は、人間である私たち、一人で生きて行くことはできないのだ。そうしたら、自分の得意な能力を使って、自分のためではなく、他の誰かのために、ひいては大きく社会的にどんなことができるかを考えていけば、窮屈な毎日から脱却できる。

自分のためだけに使う人生のなんと広がりのないこと。寂しいこと。そうでない人をみればすぐそれがわかる。

私はネルソン・マンデラ氏を心の底から尊敬しているから、マンデラさんが説いた人の道を、がんばって歩いていきたいと思っている。

自分が何を達成したか、ではなく、人の人生の中でどんな変化をもたらすことができたか。

残念なことだが、ユミコチャンと私は今、連絡が取れないでいる。

中学でのそれ以降の不登校を乗り越えて、高校に進学したころまで連絡があった。でも、通学の途中でそのいじめの加害者にまだ心ない言葉を投げかけられることがある、ということが私の知る彼女の状態だった。

ユミコチャンをいじめた子どもたちは、結局、彼らの周りに彼らの心を真に受けとめ、彼ら自身をいじめの加害者という状態から解放してあげられる大人がいなかったのだろう。このことも私はとても残念に思う。

ユミコチャンには、その後、メールを出しても、手紙を書いても、電話をしても、何の連絡も取れない。彼女とも、お母さんとも話しができない状態が続いている。

どうか、元気でいて欲しい、と心から願っている。

ユミコチャン、元気にしてますか?
いつでも、いつまでも応援しているからね。



author : y-mineko
| この人のこと、あの人のこと | comments(18) |

この記事に関するコメント
本当に、想像力がない人が最近多いんですね。親にも子にも。
みねこさんのように遠くからでも応援できるということもわかりました。
ユミコちゃんが、想像力のない人は、人の本来あるべき性質ではないということを知り、想像力のある、思いやりのある人と沢山出会って、元気になっていて欲しいと思います。
| ぶー姉 | 2010/02/10 10:57 PM |
加害者のコたち、このことを反芻し振り返り、気づくときがあってほしい・・・

ときどき日本のお笑い番組を見て、気になるのは、人を「こきおろし」たり、基本的な尊厳を傷つけてそれを笑う、という風潮があることです。芸人と呼ばれる人々は、容姿や知性を揶揄されたり、プライベートな部分にまで踏み込まれても笑っていなければならないようで、それを面白そうに笑う感覚が理解できません。

この種のいじめって、そういうものを見慣れていて、基本的な人権に対する感覚が麻痺しているから起こるのだろうか・・・と思いました。米国もまたいろんな問題のある国ですが、「これは言ってはいけない」という感覚は、若干行き渡っている気がします(たとえそれが「訴訟などに結びつくとやっかいだから」などの、自発的に人権を尊重するのではなく利益関連の理由に基づいているとしても)。表現の自由という問題が一方にあっても、人権を誹謗する感覚を許すどころか育んでしまう日本のテレビや「お笑い」の風潮に問題ありかな・・・・と思っているのですが・・・
| 葉 | 2010/02/11 2:19 PM |
ぷー姉さん、

本当に!ユミコチャンが元気に暮らしていることを願うのみです。彼女はね、「弁護士さんになりたい」って、言っていたのです。「困っている人を助けてあげたい」って。
| 吉村峰子→ぷー姉 さん、 | 2010/02/13 12:30 AM |
葉ちゃん、

頷いています。力強く。

日本に帰って、一番違和感を覚えるのが、日本のテレビ番組です。特に「お笑い系」などの人を誹謗するものや、仲間内のネタ、楽屋ネタなどは、聞くに堪えられないものが多いと思います。

一緒に笑っている人に「ほんとうにこれがおもしろい?」と聞いてしまったこともあります。

南アもね、たくさん問題がありますが、何と言っても歴史が歴史ですから、人権に関わることでの冗談はいまだに御法度です。

でも、御法度だからそういう心ないことを言わないのではなく、人を誹謗中傷するのは、嫌なことだからしない、ということを皆が認識して実行する社会のほうがいいなぁ。
| 吉村峰子→葉ちゃん、 | 2010/02/13 12:37 AM |
こんにちは。以前、コメントさせていただいた者です。

いつも吉村さんの書かれる記事は、面白く拝見させていただいておりました。でも、今回のこの記事だけは、少し残念でした。

もちろん、いじめの内容は酷いものだと思います。こんなことが日常的に起こっている学校はやはり何かが間違っていると思います。速やかに子供達が安心して学べる場所を提供するのが、大人の務めだと思います。

けれども、由美子さんやご家族、関係者の方が吉村さんの書いたこの記事を目にした時、きっとものすごくショックだと思います。不特定多数の人に、自分の知らない所で、自分の過去(だけだったと思いたい)を、自分じゃない人(たとえそれが友人、親友、親族等の近しい関係だったとしても)からさらけ出される事は、何とも悲しくて、やり切れない思いではないかと思いました。

二次被害、三次被害のような錯覚に、本人が目にしたら陥ってしまう危険性がある様に感じました。

もちろん、世の中の人に知ってもらい、このような酷い出来事が起きないような社会を作ってもらいたい、と言う願いは感じますが、それは、まず由美子さん本人が許可しての前提ではないかと思います。

もう少し、オブラートに包んでの記事でも良かったのではないかな、と思って、書かせていただきました。

失礼いたしました。

| 花鳥風月 | 2010/02/18 4:23 AM |
峰子さん

ユミコちゃんへ私からもエールを送ります。
私は職場でのいじめによって仕事仲間と後輩をなくしてます。
大人の社会にもいじめはありますよね。

いじめはある。
でも、いじめは絶対にいけない。
世の中のいじめをひとつずつでもなくすために、
私は本気でいたいと思います。
全部がなくならないにしても、私のまわりにある1個を
なくすために本気でいたい。

子どもの社会のいじめに、
子どもと大人が本気になって戦えるように、
私も大嫌いな日本のお笑い番組に、
「面白くない」といえる社会になるように、
がんばって生きて生きたいと思います。

峰子さんの記事に
峰子さんの本気を見せてもらいました。
| 愛 | 2010/02/18 5:17 AM |
吉村峰子→花鳥風月さま、

コメントをありがとうございました。

この事件が起こったときに、私の知人のジャーナリストが、本人、家族の了解を取った上でこのことを彼のHPで公にしました。その時も、読者の方々から、花鳥風月さんと同じようなご意見がたくさん出ました。

ご心配いただいた、私の記事への彼女からの許可の件ですが、私もユミコチャン、お母さんから、このことを公の文章にする許可をいただいています。

私はユミコチャンのことを応援しつづけてきて、少なくても、彼女と連絡が取れなくなるまでjは、彼女からの手紙や電話で、私が様々な形でこの事件に関わることを喜んでくれていました。

心ない教師に、「(学校に来ない)お前のことなど理解できる人間はいないぞ」と言われたときに、彼女は泣きながら、「私には吉村峰子さんがいます」とまで言ってくれたのです。その先生には、想像もつかないことだったでしょうが。

私たちにはいろいろな役割があると思うのです。私は、ここの空色庵のエース、谷澤久美子さんのようなカンセラーではありません。彼女だったら、ユミコチャンをどんなううに支えてくれただろう、と思います。どんなに優しく彼女と彼女のご家族を支えてくれただろう、と思います。

私は教育者であり、いじめを許さない大人です。

そして、こういった場所でも、新聞や雑誌でも、私は、「モノを書くこと」で、いじめは許さない、ということを伝える役割を持っていると自負しております。

花鳥風月さんのご心配はよく理解できます。ありがたい、とも思います。でも、あのいじめの渦中に、きっぱりと、「このことをもっと多くの人に知ってもらいたい、私のようないじめの被害者を増やさないでほしい」と言ったユミコチャンのこともどうぞ、知っておいてくださいね。

真摯なコメント、心より感謝いたします。
| 吉村峰子→花鳥風月さま | 2010/02/18 3:50 PM |
愛ちゃん、

あの絵葉書作戦のときも、愛ちゃんは真っ先に賛同してくれて、マウイからたくさん絵葉書をユミコチャンに送ってくれたよね。

改めてありがとう。

今回、ユミコチャンのことを再度書かせていただいたのは、いじめはどんなところにも、形を変え、程度を変えて、あり続ける、ということを考える機会があったからです。

「いじめはいけない」を、機会があるたびに、これでもか、これでもか、と大人が真剣に子どもたちに言い続けることが大切だと思っています。
| 吉村峰子→愛ちゃん、 | 2010/02/18 3:52 PM |
こんにちは。

子どもは大人を見て
暮らしているので
大人がしっかりと
これは いじめなんだと
認識し子どもたちを
正しく導く必要があると
思います。

私は小さな時
ひどいいじめに合いました。
大人になってからも
妬みからの嫌がらせを
随分受けました。

残念ながら
今、教育の現場にいてもです。

教員がそうなのだから
いい子どもが育つわけがないと
感じ日々戦っています。
(非常勤講師というのは
身分が低いらしいので
物を言えば生意気と
扱われるのです)

何か言えば

そう考える方が
考え過ぎとか
神経質すぎるとか
言われますが、
嫌だと感じることは
嫌な事だし
いじめられたと
思ったら
それはいじめなのに
どうして相手を
思いやる気持ちがないのか。

日本人は
とかく自分と同じでなければ
いけないとか認めないようですが、

色々な考えや思いがあり
価値観も違うことを
理解し共生しなくては
いけないと思うのに
本当に疲れますが、

先生のブログで
元気がでます。
なんらかの形で
先生とは
つながっていたいと
思っています。

また
個人的なことで
先生にすっかり
ご迷惑をおかけしたこと
申し訳なく
思っています。

| Rosewitch | 2010/02/21 10:35 AM |
いつも楽しく拝見させていただいております。
この度の記事、とても考えさせられることが多く
初めて書き込みさせていただきました。

ー 仲間はずれ
ー いつも鬼の終わらない鬼ごっこ
ー 必ず最後に残る花いちもんめ

周りは楽く一人が悲しい思いをする遊び方…

小さな意地悪ですが確かに私が経験し,理不尽さを感じた幼少期の出来事です。

大きないじめこそありませんが、学生時代の終わりまで
学校での小さな意地悪をたくさん経験してきました。
私のような“ターゲット”はたくさんいるだろうし
完全にいなくなることはないだろうと思います。

それでも、吉村さんの様な方がいることは
とても心強く、とても嬉しいことだと感じました。

現在20代半ば…彼女たちのお陰で“人間的に成長できた”と感じている今日この頃です。
私自身もいつか同じ悩みを持つ子供たちの助けになれればと思っています。
ユミコさんにも辛さに負けず、強く成長していてほしいと祈ります。

長々と失礼いたしました。
| 19 | 2010/02/21 9:36 PM |
はじめまして。空色庵でいろいろなところに住むみなさんの記事を楽しく読ませてもらっている者です。

 今回の記事は、とてもショックでした。読んだみんなに怒りがこみ上げてきていると確信しています。その後の彼女を気持ちには想像を絶するものがあります。

 私も学校で仕事をしています。そして、教える側・保護者・子供たちには、多忙の毎日の中で、それぞれの言い分やストレスがあることも知っています。

 でも、どんな状況であれ、おかしいことはおかしい。許せないことは許せない。おかしいことにすぐに声をあげられる実行力の大切さを、今回は久々思い出させていただきました。 吉村さんのような“逃げない大人”が増えれば、少しずつ問題が改善されてくるのでは・・・・・と期待したいです。 悪いところも、おかしいところも山ほどある日本だけど、たったひとつの歴史ある祖国の日本を好きだと言える大人でいたいと思いますから。

 文章を書くという作業は、いろんな影響力があり意見もさまざまでしょう。でも、私は悲しい事実も知るところから始めなければいけないと思っています。そして、この文章を読んだ私を含むすべての人が、自分のできる身近な問題から逃げない態度をとり始めることができたら、それは本当に吉村さんの文章が意味のある生きた伝わり方をする瞬間ではないでしょうか。 

 南アフリカからの吉村さんのメッセージを、しっかりと受け止めた者がいます・・・・・ということを伝えたくて、コメントさせていただきました。これからも、ずっと書き続けてくださいね。
| mayu | 2010/02/22 1:32 AM |
表のブログをいつも楽しく読ませて頂いていて
今回こちらを初めて覗かせて頂きました
いじめ。。。
難しいですね

私の知り合いは詳しくは書けないけど
ある国とのハーフということでいじめられて
それをその子のお爺さんに言ったら
やられたら倍にしてやりかえせと傘で叩かれて
いじめっこ達に立ち向かい、ダメならまた祖父から
傘の柄でお尻を叩かれてそれでまたいじめっ子達に
立ち向かい結局いじめを克服した人がいます

たぶんそんな人はまれだと思うけど
今の日本は精神的にも体力的にも
タフでないと生き抜けないのかなと
思いました
| 沙耶 | 2010/02/22 10:40 AM |
Rosewitchさん、

お返事がすっかり遅れてしましました。ごめんなさい。

考え方の違い、というものは同じ文化に生まれ、育っても起こりうるものです。その違いをあきらめずに、埋めていくことしかないですよね。

私も知らないうちに人を傷つけていることもあるでしょう。ただ、私のモットーというか、生き方の指針は、言うこと、書くことと実際の行動を少しでも近付けることです。

| 吉村峰子→Rosewitchさん | 2010/02/25 3:29 PM |
19さま、

19さんがいま、何歳かは分かりません。でも、「現在20代半ば…彼女たちのお陰で“人間的に成長できた”と感じている今日この頃です。」なんて、考えないでくださいね。

あなたは、そんな嫌な思いでがあったから、人間的に成長したのではなくて、あなたの持つ素晴らしい資質が大人になって花開いたんでですよ!

そして、「私自身もいつか同じ悩みを持つ子供たちの助けになれればと思っています」って、素晴らしい、素晴らしい!

これからも、どうぞ近況をお知らせくださいね。楽しみにしています。
| 吉村峰子→19さん | 2010/02/25 3:42 PM |
mayu さん、

ありがとうございます!とっても嬉しいコメントでした。

私は、「めげない、くじけない、投げ出さない」のオンナですからね。多少のことではへこたれません。

書き続けてください、と言われて、「はい!」と大きな声で返事をしました。聞こえましたか〜?
| 吉村峰子→mayuさん | 2010/02/25 3:44 PM |
沙耶 さん、

いじめの問題は難しいです。でも、いじめは駄目、ゆるさない、という思いを大人が共有して、子どもたちに伝えていくことが大切です。

で、いじめられた子がどう対応したらいいか、これも難しいです。

でもね、私は暴力は否定する人間です。「仕返し」には、また新たな「仕返し」が待っているからです。

そのお友達も悔しかったでしょうね。本当に心が痛みます。違うからこそ、おもしろい!というメッセージを伝えたいなlあ。

| 吉村峰子→沙耶さん | 2010/02/25 3:54 PM |
私事で申し訳ないのですが、私はアメリカと言う文化の違う国で、生まれて初めて、まっすぐに私を傷つけようと全力でぶつかってこられると言う体験をしています。
私を苦しめる一言一言を噛み締めるように、言っては私の反応を見る彼女の目は虚ろで、奇妙で、気味が悪い。
人を傷つけては絶対にいけない。私もそう信じます。
きっと、私の幸せ、あり方が、私の人間としての質、日本人としての誇りを示すのだと、自分に言い聞かせて、彼女とは戦わないつもりです。
しかし、世の中には他人を制する打ち負かすことで、自分の幸せを得られる、得るべきだと信じる人たちもいるのだと、思います。
差別もそうかもしれませんが、いじめをする側と言うのは、自分の虚ろな中身を存在価値を、自分より「劣る」相手を見つけることで、満たすのではないでしょうか。だから、全てが差別の理由になりえるのですよね。個としてのself-esteemが得られない、どうやって得てよいか分からない人々なのだと思います。そして、私たちの大多数がそういう部分を持ち合わせているのですよね。
| アリス | 2010/04/28 10:28 PM |
初めまして。
ニューヨークに3年間住んでいます。
今日初めて、ブログを拝見させて頂きました。
あなたの文章がとても好きです。

さて、コメントさせて頂きましたのは
もし、ご迷惑でなければ、ゆみこちゃんに
お手紙を書きたいなと思ったからです。

ご検討頂けますと幸いです。

どうぞ、宜しくお願い致します。
| 上原和江 | 2011/09/16 6:55 AM |
コメントする










吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)