空の続きはアフリカ
自分でやるんだね!

【2012.01.22 Sunday
03:14
 もう後2ヶ月も経たないうちに、夫が亡くなってから2年が経つ。

あっという間だったし、いや、なかなかしんどくも長い2年だったのかもしれない。

最初のショックの後は、“怒り”の感情に支配されていて、いつもなら、怒り、という感情はそう長続きしない私にはしみじみ辛かった。

怒りの感情の後に来たのが何だったのか、いまでも分からない。でも、季節は確実に変わっていった。新しい出会いが新しい仕事や人間関係を広げてくれた。

生前の夫はかなり私を甘やかしてくれていたのだと思う。

家の修理や会社の経理、そういったこまごまとした日常の業務は彼がすべてしてくれていた。

だから私には、修理にお金を払う、という習慣がまったくなかったのだ。

稔は、車から、エアコンから、ドアから、子どもたちのおもちゃから、私のコンパクトの留め金から、何から何まで壊れたものは修理してくれた。

そういう便利な人間が何の前触れもなく、姿を忽然と消してしまう、というのはなんとも残酷なことなのだ。

オートメーションで動くゲートが壊れる。
テレビが動かなくなる。
カラス窓が割れる。
電気の回線のどこかがショートする。
冷蔵庫が壊れる。
椅子の足ががたがたする。
ファックスが壊れる。
スキャナーが壊れる。
エクセルの数式が壊れる。
インターネットのルーターのパスワードが分からない。
パソコンの画面が壊れる。
浄水器のフィルターの代えが見つからない。
バイクのお客さんからの依頼がくる。
新車輸入のライセンスの書き換えの時期がくる。

そして、一番困ったのが、
夜中に足がつったとき、マッサージしてくれる人がいない、ということ。

天を見上げて、

「ちょっとでいいから帰ってきてくれる?」

と何回頼んだことか。

でもね、私は、つくづく、心が頑丈なオンナなのだ。

こういうことを幾百回か繰り返していくうちに、稔がいない毎日が日常となっていったのだ。

人が死ぬということは、人が死んだ、という事実を受け入れる、ということは、生身の姿ではもう目の前に現れない、ということが普通になっていく事なのかもしれない。

それに、私は稔に25年間、守ってもらっていた。これってそうないことなのかもしれない。

私はとっても強いオンナなのだが、稔は私の欠点や長所をよく知っていて、私の不得意分野をがっちりカバーしてくれていたのだ。

そして、稔の死後、息子のカンジはとってもやさしいオトコノコだから、私が大丈夫かどうか、常に常に彼なりに見守ってくれていた。

息子として、夫のいない環境をカバーしてくれていた。

その彼も1月の中旬に自分の新しい居場所を日本に求めて旅たった。

その出発の日が近づいてくるに従って、私にも覚悟ができてきた。

「自分でやるんだよね!」

という覚悟。

そうだ、私は昭和30年代に生まれ。

自分のことは自分でする、という価値観を叩き込まれて成長したはずなのだ。

だから、自分で物事を解決する、自分の手に負えないときは専門家の助けを請う、という手順を受け入れればいいのだ。

お金はかかるよね!

でも、これだけ朝から晩まで人の軽く3倍は働いているのだから、そのくらいの人件費は捻出できないはずがない。

それにこんなこと、当然のことなのだ。一人でがんばっている人なんか、星の数ほどいるんだし!

娘のショウコは、もうすぐ18歳になる多感なお年頃。彼女にとって、自分の専門を持ち、仕事のオファーが次から次から私の元に来るのを大層、カッコいい、と思っているらしい。

が、仕事以外の面では夫が私を甘やかしていたのを知っている彼女も、私のことをかなり心配しているらしい。

彼女は、一人で生きていくオンナ、というのにものすごく憧れているそうだ。

結婚なんかしたくない、とまで言う。

なぜなら、本当の意味でバランスの取れた、仲の良い夫婦、というのをあまり見たことがないからだそう……。

まあ、若い彼女ゆえ、夫婦、というか、パートナーというものは表面的なことだけでは分からない奥深いつながりがあるから、そんなこともゆっくり考えて行ったらいいと思う。

2011年は、仕事があまりにも忙しく、嵐のように過ぎて行った。

2012年はもう少しじっくり、ゆっくり、仕事だけではなくて、自分がこれからどういう風に残りの人生を過ごして行きたいか、ということを考えながら、私生活では、ちょっとアドベンチュラスなモードも楽しんでみようかと、もくろんでいるところ。ふふふ。

人生って、一回きり。

やりたい事は、冒険だったとしても、やって行こう、と思う。

やらない後悔よりも、やった後の反省やら後悔やらのほうが人生は楽しいなぁ。




author : y-mineko
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“大人のケンカ”は、こうしなくっちゃ!

【2011.02.01 Tuesday
12:37
ふふふ、何やらブッソウなタイトルだ。

皆様、2011年の最初の月がもう終わってしまいました!

新年のご挨拶がこんなに遅れてしまってごめんなさい。今年は、この空色庵の更新も最低でも月2回を目指していたのに、しょっぱなからこのありさま……。

2月からは心を入れ替えて、がんばります!

さて、タイトルに戻って話を続けると……。

私はただの一度も「ああ、若い頃に戻りたい」と、思ったことがないオンナなのだ。だって、若い頃ってなかなか不自由なことも多いと思う。

「こんなことしてもいいかな」っていうのが、若い頃は結構あったような……。

いや、そうでない人もいると思う。でも、大人!になると、こういうことがあまり気にならない、というか。

いや、年を取ると逆に“世間体”とかが気になるのでは?

う〜ん、それはその人の人生の捉え方なのかもしれない。少なくても私は、自分の行動を自分で責任が取れる年齢から、自分の感覚やら、おヘソの奥の方で示してくれる方向性に躊躇なく邁進してきているような気がする。

それが例え、“世間様”に全面的に賛同してもらえなくても。

それに、“違うこと”に対する違和感やら、恐怖心やらがとっても小さいことも私の背中を押してくれているのだと思う。

私は今の自分の年齢が好きだし、年齢を重ねることによってできることが増えていくのがとっても嬉しい。

「大人だからできること」が世の中たくさんある。

特に、我が家の子どもたちはアフリカで育っているので、これは骨身にしみている。

例えば、先進国に住む子どもたちのように、公共交通機関を使えることがないので、どこに行くにも親がかり。これは中学生くらいになると、かなり情けないことなのかもしれない。でも、社会的にそういった設備が整っていなのだから、仕方がない。

正直言って、“大人の実力”というもを、これでもか、これでもか、と見ていると、子どもたちは、当然、

「ああ、早く大人になりたい」

と熱望する。

私は、これは至って健康なことだと思う。

大人に責任を負わせて、自分たちは子どものままで大人に甘えていたい、と子どもたちに思わせてしまう社会は、やはりどこかおかしいと思う。

さて、「大人のけんか」について。

娘・ショウコは普段は寄宿舎生活なのだが、スポーツなどでの対抗試合やらで、ダーバン近郊の学校に遠征に来ることもある。

この日の“大人のケンカ”は、そういった試合の日程を親である私に伝えるときに起こったコミュニケーションの行き違いが発端。

長い話を簡単にすると、集合時間を一時間半も早く私たちは教えられ、延々と他の人を待つはめになったのだ。しかも、その集合時間に間に合わせるため、土曜に働きに来るスタッフの一人の仕事をキャンセルしてもらっていた。つまり彼女はこの日の収入がなくなった、というわけ。これがどういう意味をもつか……、ショウコは十分理解している。

また、毎朝、4時起き、一日16時間くらい働いている私のことをショウコはよく知っていて、そんな私を週末の朝、自分のスポーツのことで時間を無駄に過ごさせたことがたまらなかったのだと思う。

結局、この引率の先生がショウコに間違った時間を伝えたのだが、彼女は断じてそんなことは言っていない、と言い張る。

ショウコは、「絶対に聞いた。だって、そうじゃなかったら、どうして私がそんな時間を言いだすの」と、一歩も譲らない。

南アの教師というものは、とにかくまだまだ威厳があるし、普通、子どもたちは一切の口答えを許されていない。

ショウコは悔しさのあまり、最初の試合はまったく調子がでず、惨敗。試合後、もうこんな監督の元ではプレーができない、おうちに帰りたい、とさめざめ泣いていた。

なんでショウコが泣いていたか、というと、この誰が何を言ったか、言わないか、の議論の最後、この先生が、

「わかった、私が罪をおえばいいんでしょう?あなたのお母さんにだって謝ればいいでしょう」

とかなり開き直った様子で彼女を責めたのだ。

それが悔しくて、悔しくて、さめざめと泣いていたショウコ。

「大人のくせに、子どもみたいに私を脅かした」

それを聞いた私はこの先生からの“謝罪”をひっそりと待っていた。

ところが、その気配まったくなし。ショウコもこれに対しても、怒り心頭、という状態でまたまた泣いているようだった。

そこで、私は、この先生に直接向き合うことにした。

ショウコの今の状態を話し、彼女の主張していることも伝えた。

すると、彼女、にっこり笑って、

「ああ、そんなこと、もうあまり関係ないですよね。だって、もうみんなここにいるわけだし、みんなこんなに楽しく時間を過ごしているわけだから」

と、かなり都合のよいことをまくしたてた。

う〜ん、これはタチが悪い、と判断した私は、この先生にゆっくり、こう切り返した。

「う〜ん、その認識は間違っています。ショウコはいま、決して幸せな状態ではありません。それに、先生は、いま、ご自分で自分には30人の子どもたちを見る責任があって、とおっしゃいましたよね。ショウコは30人の子どもを見る必要のあった先生とは対照的に、一人の母親に時間を伝える義務があったわけで、そのことを考えると、ショウコが時間を間違える可能性は低いと思います」

すると、先生、鼻がひくひくしてきて、

「じゃあ、どうすればいいのですか?」

と、謝る気持ちはまったくない様子。

「先生はどうしたらいいと思いますか?これはこのままでは何にも前進できませんよね」

すると、

「私が謝罪すればいいのかしら」

私は、このタイミングをきっちりと捉えて、

「はい、先生の謝罪、いま、私、受け取りました」と先手を打った。

自分が「謝ればいいの?」とカマをかけてきた瞬間に、相手から、「はい、その謝罪、受けました」と言われてしまったので、もう先生、自分が悪かったことを間接的に認めざるを得なかったのだ。

私は、にっこり笑って、

「先生がそう言ってくださるの、待っていたんですよ。ありがとうございます。これで、一件落着にしましょうね」

そして、さっさとその場を立ち去った。

あまり、こういった“対立”はしなくなったとはいえ、やはり“オトナのケンカ”は、相手のメンツを立てつつ、こちらの要求をきっちり通すことに意味があるわけで……。

まだまだぐずぐず泣いていたショウコも、

「お母さん、ごめんね。忙しいのにこんなに待たせてしまって。でも、もう大丈夫。次の試合はがんばるから」

と、気持ちを立て直した様子。

私が忙しいのはいまに始まったことじゃないし、こういう一見、無駄に見える“待ち時間”だって、久しぶりに晴れた気持ちのよい青空の下、実はけっこういい休息になったのだ。

それに、子どもの成長する過程のこんな場面、一つ一つが私にとっては宝石のようなもの。

“大人のケンカ”も見せてあげられたしね。

さあ、明日もがんばろうっと!

author : y-mineko
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『行く年、来る年』〜先のことはわからないから〜

【2010.12.30 Thursday
16:05

2010年は、私にとって、このタイトル通り、「先のことはわからないから」ということを教えてくれた一年だった。

まず、今年の3月に、さっさと天国へ行ってしまったのは、夫、稔。享年53歳。

健康オタクで、毎日の運動を欠かさず、何事も全力投球、それでいておっちょこちょいで失敗が多く、どれだけ私に叱られたか……。

彼の口癖は、

「あなたは幸せなツマだよなぁ。痴ほう症になっても、車イスに乗るようになっても、健康なオレが介護してあげるんだから。まあ、安心して年をとって、ボケてくれ」

だったのに、趣味のロッククライミングから帰る途中、雨に足を滑らせて、崖から落ちて死んでしまった。

亡くなった当初、あまりの衝撃に、普段と違う行動を取ることさえできなくて、仕事も生活も稔がいたときと同じようにしてしまった私と子どもたち。

たくさんの人がお悔やみをくれて、慰めてくれて、励ましてくれた。

でも、そのどれもが心の底までは届かなかった。だって、稔が死ぬなんて言うことはあり得ることではなかったから。

そして、しばらくして私を苦しめたのは、多く人から寄せられる私たち夫婦へのあまりにも過ぎた“褒め言葉”だった。

「日本がアフリカに送り込んだ最強の夫婦」
「お互いを支えあう最高のパートナー」
「あなたがいたから稔さんは幸せだった」

少しは本当のことかもしれない。でも、私は稔にとってそんなにいい妻だったんだろうか、と激しく落ち込んだのも事実。

だって、私は彼にもっと、もっと、優しくできたはずなのに、それをしてこなかった。

あんなことをしてあげればよかった、ああ、あれもしていない、これもしなかった、などなど、私は稔に対して申し訳なさでいっぱいになった。

それから、私が稔に対して抱いていた不満もたくさんあったのに、これはもう口にするのも嫌になった。

だって、もう彼は反論できないし、自分の側からの意見を言うこともできない。

反論のできない人に文句を言うのは、私は嫌なのよね……。

だから、もう、どんどんど〜ん、と、どん底に落ち込んでいく自分が見えた。

そんな私を暗い穴から、引っ張りあげてくれたのが、なんと、“ワールドカップ”、いや、“スポーツ”だった。

長い間、アフリカで人々のエンパワーメントに関わってきた私。だからこそ、どんなに私のような外部の人間ががんばっても、人々を励ますのは、実はその人自身、あるいは本当に身近な“内側”の人たちだ、ということを骨身にしみて知っている。

でも、アフリカで成功する、ということは元々の人たちからの“脱皮”であり、“離脱”である、ということでもある。

私のここ数年の課題は、その成功した人たちをどうやって、まだまだエンパワーメントが必要な人たちに関わってもらえるのか、ということを具体化することだった。

そんな時、自分の村出身のサッカー選手に熱狂するカメルーンの、ナイジェリアの、ガーナの、南アの人々の姿がワールドカップの画面に映っていた。

「ああ、こんなにスポーツには威力があるんだ」

ということをこの年になって初めて実感した。

ワールドカップで活躍していた選手たちは、自分の優れた身体能力、体力の限界までの鍛錬などを武器として、プロのサッカー選手となり、自国の名誉やら責任やらを得追いながらも、自分の得意とするサッカーで人々をあそこまで熱狂させていた。

これほどのエンパワーメントを私は知らなかった。

稔が亡くなって、アフリカにとどまることに迷いはなかったけれど、これから先の人生をどう送って行こうか、ということにやや指針を失いつつあった私に、スポーツはまったく新しい方向性を見せてくれたのだった。

そして、ここからが人生の不思議で面白いところ。

このワールドカップが私に新しい出会いをもたらしたのだ。

初の日本人南アプロサッカー選手、村上和範選手。実は、南アに住んで、日本のメディアのコーディネイトのお仕事もさせていただいている関係で、私は彼の日本のテレビ番組の週杖の交渉を引き受けたのだ。

その彼の南アのエージェントが、マイク・フォラ・ドクンム氏だった。



彼は、国籍は今でこそ南アだが、元々はナイジェリア出身の生粋のナイジェリア人。ナイジェリアで育ち、17歳で家族と共に英国へ渡る。その後、英国で大学を出てロンドンで働き始めるが、サッカーコーチの資格を取り、南アにサッカーコーチの職を得る。

さて、“ナイジェリア人”と聞くだけで、人々は眉をひそめる。

“ナイジェリア”、という国名を聞くだけで、想像されるのは、麻薬の売買、マネーロンダリング、マフィア、とにかく、ナイジェリア人ほど世界で差別されている人たちはいないのではないだろうか。

が、マイクはそのどれにも当てはまらない。

これほど、日中夜通して働く人間を私は知らない。

そんな彼が、私の仕事振りを見込んで、「仕事上のパートナーになってほしい」と言ってきたのだ。仕事ぶりと言っても、私はせっせとご飯を作り、彼の居心地のよい環境を整える努力をしていただけなのだが……。

マイクは、私にこの村上選手のダーバンでのお世話係りだけではなくて、彼の会社のダーバン支部を引き受けてくれ、というのだ。

人生、急展開!あれよ、あれよと言う間に、私はいままでの、語学教師、通訳、ライターの仕事のほかに、なんと、スポーツエージェント、という未知の仕事に進出することになったのだ。

彼の会社のHPはここからどうぞ。

最初、自分でもそんな大役が素人の私に務まるのか、とさすがに5秒くらい躊躇したのだが、マイクは太鼓判を押す。

「あなたはできる。あなたが私の会社を次のステップに引き上げてくれると思う」

ここまで言われてしまうと、私の答えは一つしかない。

ワールドカップの前までは、サッカーの試合を90分通してみたのは、日本が負けた“ドーハの悲劇”の試合くらい、というお粗末さだが、ワールドカップの見せてくれたスポーツの可能性にぞっこんになっている私は、いまだにやや理解に苦しむ“オフサイド”とか、“ペナルティキック”とやらも、ルールブックを片手に勉強中。

というわけで、私は11月から、新たに、“スポーツエージェント”というお仕事もさせていただくことになったのだ。

何て無謀な?と思われるかも。

確かに、通常だったら、もうそろそろオバアチャンになったって不思議ではない年だし、夫を亡くしたのだから、段々と活動の場を縮小して、静かに人生の後片付けモードに入る方が賢明なのだとも思う。

でも、稔があんな死に方をしたからこそ、私はこれからの自分の人生をこれからまで以上にフルに、精一杯生きようと思うのだ。

私の2011年は、これまでの仕事とこの新しい仕事によって、さらに忙しく、楽しく、そして充実した毎日になりそうな予感。

大きな転機を迎えた2010年。私の後半人生もまだまだいろいろありそうで……。

皆さま、どうぞ、私と一緒に新しい可能性にわくわくしてくださいますよう!

author : y-mineko
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ブラックベリーでスペインが身近に?

【2010.10.18 Monday
03:01
 私は正直言って、デジタル系、IT系の知識に乏しい。

う〜ん、習う機会はあったはずなんだが、「ああ、それは私たちがやるから、こっちの仕事をしてくださいね」という優しい、いや、時間がかかることを見とおされていた周囲によって、甘やかされていたのだ。

で、当然、この頃自分でいろいろしなくちゃいけないことが増えてきた。

と、思いきや、いやいや、助っ人は出てきてくれるのよね。

私のあまりのおたおたぶりに、ノリさんとか、南ア人、日本人の生徒たちが、何やら面倒をみてくれる。

何回か前の空色庵でも書いたとおり、じゃじゃじゃじゃ〜ん!私のブラックベリーちゃんも、ちゃんと日本語を認識するようになりました。

これは、英語の生徒たちをカレーランチでおびき寄せ、いろいろコンピューター上を探してもらって、助けてもらったのだ。

ありがとう〜、皆さん!

さて、今日はそのブラックベリーで起こった、なんとも不思議なことをご報告。

もしかしたら日本ではこのブラックベリー、あまり人気がないのかもしれないのだけれど、南アとか欧米ではIphoneよりも、こちらの方が機種として先行していてとっても人気がある。

おまけに、南アではここにきて価格が、ぐ〜っと下がったこともその人気に拍車がかかっている理由だと思う。現在、一番安価な月極め契約(最低2年間)で、月額2000円。その契約にはBBの本体がついてきて、月額2000円程度の通話ができる。

このブラックベリー、もちろん、デジタル音痴の私ですからね、そんなに機能を万全に使いこなしているとは思わない。それでも、そんな私が一番重宝しているのは、ブラックベリーユーザー同士なら無料のブラックベリーメッセンジャー。

これは、ユーザー同士が、それぞれのハンドセットに登録されている、PIN番号というものを登録しあうとその番号同士のメッセージのやり取りは無料になるというもの。お互いを知っているからPIN番号を教え合うわけだから、安全だし、経費削減もできる。

ところが、ある日、まったく覚えのない番号から、「私を登録してね」のメッセージが入った。

「私のPIN番号を知らないと起こるはずのないことだから」と、あまり深く考えずに、「OK!」とさっさと登録した間抜けな私。

すると、その登録された番号の持ち主は、『Ioana』という名前の人だった。

えっ、これ,誰?

と一挙に広がる不安。

恐る恐る、その人に「あなたはだあれ?」とメッセージを送ってみた。

すると、即、帰ってきたのが、「ええ?あなたは誰なの?」という返事。

う〜ん、おかしい。

二人で「おかしい」、「おかしい」とメッセージをやり取りしながら分かったのは、このIoana さん、スペイン在住の19歳!の女子学生だった。

彼女も私が52歳の南ア在住の日本人、ということが分かると、「かっこいい!」って。

で、二人でお互いの家族のこととか。何をしているか、などなどしばし、楽しい時間を過ごした。

その後、彼女は即、「Are you on Facebook?」と聞いてきたので、「あまりアクティブではありませんが、はい、Facebook にも登録してますよ」と言うがいなや、もう彼女は私を彼女の友達として登録してくれたのだ。

私もせっかくなので、彼女のページに行ってみると、おお、とっても19歳とは思えないくらい大人っぽい、スペイン美女が!

う〜ん、日本ではネット上で、本名などを明かすことをとっても避ける傾向があるようだが、現在、英語圏で、特にこの Facebook はほとんど本名でいろいろなことが書きこまれている。写真だって、日本のように、顔をぼかしたり、隠したり、なんていうことはほとんどない。少なくても、私の周りで Facebook をしている人はそういうことをしていない。

これって、どこがどう違うんだろう。

日本だけがネット上のマナーが極端に悪い、ということも考えにくいのだけれど、本当に不思議だ。

私は文章を書いてお金をいただく仕事もさせていただいているから、自分の文章は常に本名、写真も隠さずに使ってきた。自分の書いたものを、本名を付けて出せないものは、私はどこにも公表しようとは思わない。

これは、私が常に目標にしている、自分の言うこと、書くことと自分の行動を少しでも近づけたい、という信念にも沿っていることなんだと思う。

そんなことを考えながら、それでも、こうやって思いもがけず、自分の子どものような年齢のスペインの女性とこんな不思議なきっかけでお友達になるなんて、なんていい時代に生まれてきたんだろう、とつくづくおばあさんのようなことを思って、にこにこしている。 

author : y-mineko
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鼻の穴、発見!

【2010.09.26 Sunday
05:25
あっという間に一人暮らしの時間が多くなってしまった。

去年母が亡くなり、父が日本へ帰り、今年稔が亡くなった。それだけで、大人マイナス3。

カンジは建築学部の学生で、大学のある時は、ほとんど大学のスタジオに泊まりこみで勉強中。週のうち、自宅のベッドで眠れるのは1日あるか2日あるか、というところ。

ショウコは月曜の朝から金曜、もしくは土曜の午後まで自宅から60キロほど離れた寄宿制の高校生。だから週の途中は家にはいない。

ほんの1年半前までは6人家族だったのに。私は、あれよあれよという間に、この大屋根のあるアフリカの茅葺の家で一人暮らしをすることになってしまったのだ。

ところが、今年の8月の後半から1カ月ほど、突然、若い夫婦と10カ月の赤ちゃんのお世話をすることになった。

幼い子どものいる暮らし、というものがこんなものだったのか、ということに改めて驚嘆。

毎日、毎日が彼女にとっては新たらしい発見の連続なのだ。それを見させてもらっている大人たち。ものすごく新鮮で感動してしまう。

しかも、この赤ちゃん、“メイちゃん”といいますが、笑いながら眠りから覚めるような、極めてご機嫌のよい赤ちゃんなのだ。

私は多くの子どもの周りで生きてきたから、子どもの顔をちょっとの時間見せてもらうだけで、不思議なくらい、その子の置かれている環境が想像できてしまう時がある。

寂しそうな子、欲求不満を抱えている子、大人の顔色をうかがっている子、極端に人見知りする子……。でも、そう、それぞれ、みんな理由があるのよね。赤ちゃんだって、幼い子だって、そう皆がいつも笑っていられない場合があるのよね。

もちろん、はずれることもあるけれど、一見しただけでは分からないこともあるけれど、でも、ココロが安定している子どもには、ココロが安定している親がついている場合が多いと思う。

そして、ココロが安定している、というのって、何も難しいことではなくて、きちんと赤ちゃんのルーティーンを尊重してあげて、その赤ちゃん時間をのんびりと一緒に過ごしている、といった単純なことでいいのかもしれない。

はい、このメイちゃん。



どんなときでもご機嫌で、ぐずる時は眠たいとき、お腹がすいたとき、くらいだ。メイちゃんのお母さん、リエさんは、明るくて、赤ちゃんのいる暮らしを心から楽しんでいることが分かる。

リエさんの安定感がそのままメイちゃんの笑顔につながっている。そして、リエさんの隣には、これまた赤ちゃんの暮らしを大らかに支えているノリさんというメイちゃんのお父さんがいる。



赤ちゃんが赤ちゃんらしいのって、なんて気持ちのいいことなんだろう、とメイちゃんを見ていてつくづく思う。

ダーバンのおばあちゃんとなった私はメイちゃんにメロメロ。かわいくて、かわいくて仕方がない。

このメイちゃん、もう本当に毎日の発見が楽しくて仕方がないようだ。

そして、今日の彼女の発見は、じゃじゃじゃじゃ〜ん!

“鼻の穴!”

あれれれれ?こんなところに、穴がある!!!!
指がはいっちゃうよ〜!

と、彼女が思っているのが、手に取るように分かった。

そうだよね、こんなとこころに、指を入れたって、スプーンを入れたって、底がないような穴があったなんて、知らなかったよね。

でも、不思議だよね、みんなの顔の真ん中にもあるのよね!
きゃ〜、峰子さんの鼻にも穴があるじゃありませんか!

「ちょっと指を入れてみますから、私……」

って、メイちゃんが言ったわけじゃないのだが、ふと、横を向いた隙に、その小さな奇跡としか思えないような完全な形をした小さな指が私の鼻の穴に侵入してきた。

きゃ〜、メイちゃん、くすぐったい!

でも、おもしろいねぇ。

メイちゃんの前に広がる不思議に一緒にわくわくさせてもらって、本当に嬉しい。



author : y-mineko
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ごっつん、とぶつけて

【2010.08.17 Tuesday
05:14
私の車は、家の近所のショッピングセンターの駐車場で、両隣に背の高いトラックが留まっていて、ほとんど何も見えない状態。

で、そろりそろりと動く私に後ろから、トラックが“ごつん”とぶつかる音が……。

私はこういうことが起きると、「はあ〜」という深いため息がでる。

パニックになる、ということはほとんどない。でも、がっかりする。南アフリカで、こういった事故によって起こる後始末の面倒くささを熟知しているから。

さて、そんなことよりも、この“事故”の相手は、白人の、あまり裕福層ではないおじさん。


その彼は、

「Lady, these things happen, OKAY!」

とまくしたて、私に保険会社に請求しろ、と言い残し、去って行こうと。まあ、名前と電話番号はかろうじて入手。

彼は、「まあ、奥さんよ、こういうことは人生起こるんだから、仕方ねえだろう」

という態度。

私は、その場で気のきいたことが言えないアホなところがあるので、

「えええ?この人、なに?」

とか思っているうちに状況が動いて行ってしまうことが多々ある。

子どもたちからは、

「お母さん、とろい!」

と。

で、この人が、突然、車を走らせる前に

「Do you have a husband?」

と私に聞いたのだ

正直に答える必要なんか、まったくないのに、

「NO!」

と条件反射のように、大きな声で答えてしまった大馬鹿な私。

でも、なんで?
なんでダンナがいることがこれに関係あるんだろう?などと、考えこむ。

つまり、「オンナ」では、こういった事故の処理なんかできないだろう、と考えられたのだろうか。後からむやみに腹がたつ。

その後、なんと、このおっさん、自分で、

「クレームするんだったらお互いの保険を使う、それでおしまい」

とか言っていたくせに、数日経ってから、

「相手の女が悪い、自分の免責分も彼女に払わせろ」

と、保険会社にいいがかりをつけてきた。

そこで、遅ればせながらも、私は、警察に出向き、状況をレポート。

担当の警察官が、「う〜ん、一日遅いなぁ」とため息。どうやら、こういった事故は発生から48時間以内にレポートを提出する義務があるのだとか。

私が

「ごめんね、知らなかったの。どうしたらいいですか?実は、これこれこうで……」と説明すると、

「よし、そういうことか!俺に任せろ、ここの日付を一日ごまかすね」

といいながら、ちゃちゃちゃ!と日付を変更!

ああ、私、アフリカ人、大好き。

で、保険会社からいろいろ電話がかかってきていたので、どういう状況だったかを説明。

すると、保険会社のお姉さんたちも、彼がこういった、ああいった、ということを説明するときに、「Do you have a husband?」などという性差別発言をしたことを付け加えると、

「Don't worry!  I will sort it out !」
「心配しないで!あとは任せなさい」

とみんなが一緒に怒ってくれて、ここでも、私は、ああ、アフリカ大好き!と再度感激。

日本だと、こういった事故処理の顛末で、ここまでどちらかをエコひいきをするなんてありえないと思うのだが、う〜ん、そこは南アフリカ、先進国のようでいて、そうでもない、人情味たっぷりのお国柄。

南アって、いいでしょう?


author : y-mineko
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アタラシイコト、始めています!

【2010.08.02 Monday
12:38
7月から、「吉村峰子改造計画」が着々と進んでいる。

今まで苦手だったことも積極的に頑張って行こう!という元気が湧いてきているのだ。

まず、この“スマートフォーン”と呼ばれる携帯電話のブラックベリー。日本では、Iphone が主流のようだけれど、南アでは圧倒的にこのブラックベリーに人気がある。



これは、メールもインターネットも何でもできちゃう携帯電話。それに嬉しいのは、キイボードが普通のPCなどと同じ配列で並んでいるので、PCに向かって仕事をしている時間が圧倒的に多い私にとっては、本当に使いやすい。

ブラックベリー・ユーザー同士ならば、メッセージも無料で送ったり受け取ったりできることも大変よろしい。

一つだけ、まだ実現していないのだが、どうやら、このブラックベリーは、PCにつないで情報をダウンロードすると、日本語も読めて、書けるらしい。ということは、日本人同士でメールを交換する時のあの、ローマ字表記の日本語から解放される、ということではないか!

これは画期的なことだと思う。

が、残念ながら、このダウンロードに何回トライしても失敗している。ここは日本人でこういったことに詳しい人にお願いするしかないのかな。

さて、「吉村峰子改造計画」の第二弾は、ほほほほほ〜、なんと私は近所のジムに通いだしたのだ。これはやはり一人親になってしまったので、子どもたちのためにも、身体を鍛えて、ずっと健康でいることがとっても大切だ、と骨身にしみて思うようになったから。

そこで、近所のジムを何件か下見に行ってみると、いや〜、中にはとんでもないところもあるのに驚いた。

だって、この3月くらいから営業を開始している家の近所にできたジムなんて、なんと、メンバーの写真がずらりと張られていて、“Before and After”を大体的に宣伝している。が、問題は、その写真、かなり年配の、かなり年季の入った太り方の女性でも、ビキニ!を着せられて、写真に写っているではないか。

「……もしかしたら、すべてのメンバーがこの写真を撮るの?」

と恐る恐る聞いてみたら、

「もちろん!」

とニコニコ。もうこれだけで、私は退参モード全開……。

その上、経営者の男性の、受け付けのお姉さんと一緒に、このジムの説明をしてくれたときに、とっても気になる一言があった。

「ジムに通うことを人生の中心にしてほしい」

ビキニですっかり弱腰になっていた私はさらに追い打ちをかけられるような、この発言でこのジムには通えないな、との結論が……。私がジムに求めているのは、健康のための筋力つくりであって、ジムを中心に人生を考えるなんて、とっても不自然だもの。

そして、次に見学してみたのは、私の友人サリーが一家で通うプライベートなジム。ここは、他のところに比べるとやや会費が高いものの、入会金もなければ、時間も次の日に決定できるような自由さがあった。

そして、私のトレイナーは、ギャレス君。弱冠26歳。う〜ん、身長2メートルは軽く超えているかな?クマのぬいぐるみがあるいているような彼は、その大きな身体にソグワナイ?くらい、繊細に気が遣える青年で、女性の参加者に人気が高いのがよくわかる。



足がつる癖のある私が、ジムの練習中に足をつらせると、根気よくマッサージもしてくれて、本当に助かる。確かに、このジムに通い始めてから、深夜に足がつって、目が覚めることが劇的に減った。稔が生きていたころは、そういう時にマッサージをしていてくれたから、これは本当に思わないところでの嬉しい展開。

さてさて、「吉村峰子改造計画」の第三段!

これは、この空色庵の他の住人からも、折につけお願いされていたのに、なかなか重い腰を上げなかった、Twitter での発信だ。

だって、どうして、こんな私の“つぶやき”を、他の人が興味があるのだろう?とややカイギテキに思っていたのも事実。

「う〜ん、でも、でも、日本語で私が南アから“つぶやき”を重ねても、何が起こるのかなぁ……。エッセイでの発信はカフェグローブと空色庵でしているし……」

とぐずぐずしていた背中を押したのは、日本語を話さない、読まない友人からの一言だった。

「あなた、日本語では発信しているようだけれど、英語ではしていないじゃない。Twitter でもしてよ」

膝を打ちました!

そうか、英語での発信であれば、ここに書くようなこととはちょっと違う私の、その場、その場での考えを“つぶやく”意味があるように思えた。

……と言うわけで、どうぞ皆様、英語の勉強をしている方、私の元生徒の皆さま、そして、英語を読む皆様、どうぞ、Twitter で私を Follow してくださいね〜!基本的には英語での発信です。

http://twitter.com/minekoyoshimura

そうそう、改造された吉村峰子が何をしたいかは、追々!



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49 Days

【2010.05.05 Wednesday
13:33
ステージの上のショウコは、その堂々としたダンスと歌唱で圧倒するような存在感があり、たった6週間前に父親を亡くした少女には見えなかった。

ヒルトン高校は南アでも有数の名門男子校。その歴史は古く、南ア中から多くの男子学生が集まっている。



このヒルトン高校とショウコの通う女子高校のエップワースは、同じピーターマリッツバーグにある高校だ。南アには、こういった寮のある高校がたくさんある。

我が家からピーターマリッツバーグまでは、距離にして60キロほど。家から5分ほどで高速道路に乗って、120キロくらいの速度でノンストップ、時間にしたら40分弱しかかからない。でも、公共交通機関がほとんど整っていない南アでは、この距離は毎日の通学は無理。よって、我が家の場合、ショウコは、月曜の晩から金曜の昼間まで学校の寮に入る、“ウェークリー寄宿生”という選択をした。

南アの高校(日本の中学2年から高校3年まで)は一年生から入学した場合、卒業まで5年間あるから、本当にそこに集まる子どもたちは、“生涯の友”を得ることができる。南アの寄宿高校を卒業した親は、必ずと言っていいほど、自分の子どもたちも同じように寄宿高校に入れたがる。

ショウコを見ていてもそれがよくわかる。

悲しい時、嬉しい時、苦しい時、楽しい時、一日24時間を、こんなに多感な時期に一緒に過ごす友が、自分の人格の一部にならないわけがない。今回も、父が亡くなる、というこの現実に彼女が雄々しく立ち向かっていけるのも、数人の彼女の本当にコアな友人たちが、彼女をしっかり支えてくれているのが手に取るようにわかる。

さて、その男子校、女子高の寄宿学校同士、お互いの欠けているところを上手に補う習慣がある。

南アの高校には、10年生からの選択科目の一つに、演劇(ドラマ)という科目がある。今回は、ヒルトン高校でミュージカルが演じられることになり、ショウコの通うエップワースに出演依頼が来たのだ。

でも、希望者が全員招待されるわけではなくて、厳しいオーディションがある。ショウコは、ダンスとコーラスに選ばれた。メインのセリフのついた役ではなかったのが、なんとも悔しかったそうで……。



しかも、ショウコが狙っていたのは、エルビス・プレスリーを彷彿させる主人公だった、というのだから、あっぱれ!

ショウコに言わせると、今回、監督の先生がショウコを主役に選ばなかったのは、「男子校のプライドなのよ」だそうだ。そりゃあそうでしょう!男子がたくさんいる男子校で、女子高の女の子たちに演じてもらいたいのは、“女の子”いや、“女性”なんだから。

いやはや、それにしても、その揺らぎのない自信は「いったいどこから?」と母は感心するばかり。ステージでも、大勢の中で自信たっぷりに動く彼女はとっても目立つ存在だった。



そんな彼女の元気な姿を見たばかりだったのに、思わぬところで、稔の死の大きさを実感することがあった。

ショウコの舞台を見た後、帰路についた私は、自分の携帯電話をマナーモードから通常モードに切り替えるのをうっかり忘れていた。

その間、15分もなかったと思う。

ショウコは、観客席にいた私をどうやら見つけられなかったようで、私が実際にその日ヒルトンに来ていたかも確認していなかったのもいけなかった。

実はこの日はもともと舞台を見にいく予定にはしていなかったのだ。たった数日前のドレスリハーサルには兄のカンジとともに行っていたから、平日の夜(何と舞台は7時半始まりの10時終了!)のお出かけは遠慮したい私の体力を心配して、ショウコが無理に本番(四夜連続!)は来なくてもいい、と言ってくれていたのだ。

でも、我が家のスタッフのプレシャスやシェリーが、「ぜひ見たい!」と言ってくれたので、急きょこの二人を連れて、火曜日の晩、出かけることにしたのだ。近い、と南ア人は言っても、夜暗くなってからピーターマリッツバーグの町外れにあるヒルトン高校までの片道80キロのドライブはそう頻繁にはしたくない。でも、ショウコには、携帯電話のメッセージに、「今日、見に行くからね」と入れておいたのだ。

いろいろな偶然が重なり、ショウコはその日私の姿を見ていなかったのだ。

舞台が終わったショウコは私の携帯に連絡を入れようとした、が、マナーモードになっていたので、私は電話がかかってきたことも知らなかったのだ。

私が電話にでないことでショウコはパニックを起こしたのだ。

兄のカンジに電話をかけ、

「お母さんがいない、死んじゃったんだ!」

と、大泣きをしたらしい。

カンジは、冷静に、私と一緒にいるシェリーに電話をかけて状態を確かめて、ショウコをなだめてくれた。

そして、ようやくつながった電話でショウコは大泣きをしながらその不安を私に伝えた。

ショウコはこの年齢でありながら、本当に度胸の据わった、それでいて、素直な女の子なのだ。前回も書いたように、彼女は普段の生活をこれまでと変わらない態度で元気に過ごしている。

それなのに、こんな不注意な15分の空白が彼女を絶望の淵を覗いたような状態にしてしまったのだ。

ごめんね、ショウコ。

でも、お母さんは絶対に死なないから。あなたたちがしっかりと大人になるまで、がんばるからね。健康管理もしっかりして、運動も再開して、がんばるからね。

おいおい泣いているショウコの電話のそばで、彼女の友達が一緒に泣いているが聞こえた。みんなありがとうね。心配かけて本当にごめんね。

そして、こう言う時、決して私にまた電話したりして、私の不注意を責めたりしない、カンジの心のあり方にも手を合わせたい気持ちになる。

カンジの、何も言わず、その「電話をかけない」、という選択で、私を支えてくれているのがよくわかる。私が誰よりもショウコの心をこんなに揺らしてしまったことを悔いているのが彼には理解できるのだ。だから、そっとしておいてくれるのだ。

夫の四十九日はあっという間に来た。彼の魂はきっと安心して、空に還ったと思う。

さあ、いろいろ再開しなくてはね。




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まだもう少し待っててね

【2010.04.18 Sunday
00:40
 夫が亡くなって、一カ月が経った。
私はお母さんだから、自分の悲しみだけに浸るわけにはいかない。

でも、ショウコの健気さ、豪快さに救われている。
カンジの優しさ、細やかな心遣いに助けられている。

東京滞在中、ホテルに泊まると寂しいかな、と思い、空色庵ののりちゃんのマンションにお邪魔した。駅から数分の古くて大きくて、温かいマンション。

のりちゃんのパートナーのコバヤシさんは、どうやら稔が亡くなったことを知らないな、と言う感じだった。うん、それもそれでいいのよ。

ショウコとコバヤシさんは波長が合うようで、二人で何がおかしいのか、「がはがはがはがは」と笑っていた。ショウコは、朝ごはん前にキャラメルコーンを食べちゃうコバヤシさんがとっても素敵に思えたようだ。

ハハとして、子どもの笑い声くらい、こういう時心に染みるものはない。

特に夫とショウコは仲がよく、また性格もよく似ている。実は、ショウコは、「オンナミノル」と家族内で呼ばれているのだ。

そのショウコがつぶやいた。

「あのね、ショウコはね、お母さんとカンジが泣いているのを見ても、もう同情しないんだよ。だって、お父さんはもうどうやったって帰ってこない。泣いたって駄目なんだよ。だから、ショウコはお父さんの喜ぶことをして、お父さんのことを考えることにすることに決めたんだ」

ショウコのこのつぶやきにウソはない。

そんなに単純に割り切れるの?と聞く人がいるのかもしれない。

単純に割り切っているのではなく、これがショウコなりの生きて行くための方法なのかもしれない。こう思うことで、前に進む彼女がいる。

私に似ているカンジはがんばっているが、教授に「カンジはがんばっている」と言ってもらったら、みんなの前で泣いてしまったそうだ。

どうしても深夜に目が覚めてしまう私。キッチンに歩く私の足音がすると、どんなに遅くでもカンジの部屋には電気がついていて、「お母さん、大丈夫?」って聞いてくれる。

昨日までそこにいた人が死んでしまうのは本当に大変なことだ。

人間の死、というものを医療関係者でのないのに、アフリカにいて、エイズ患者さんの近くで生活してきて多く見てきた私。

患者さんの死に打ちのめされて、涙に暮れることも何回もあった。

でも、今回の稔の死はまったくの別モノ、まったく別の次元の話だった。

四六時中嘆き悲しんでいるわけではない。毎日の生活は目の前で進んでいく。ご飯だって食べている。味はあまりしないけれど。

日本では追悼の会が3回、法事が一回、食事会だって何回も。

市役所で戸籍に死亡届も出した。生命保険の手続きもした。遺族年金の手続きもした。銀行のローンの口座も変更した。司法書士さんにだって会った。考えられるやるべきことはすべてしてきた。

ダーバンに戻ってからは、授業だって、他の仕事だって休みなしにこなしている。

でも、ふとしたときに心がつぶれる。

稔がいないことを思い知らされて、心がつぶれる。

だって、健康オタクで、運動好きで、絶対、私より健康で長生きするから、

「安心しろ、お前は車イスになったって、寝たきりになったって俺が介護してやるからな」

と言っていた人間が、どうして私より先に死んでしまったんだろう。

私はPCがどうやってプリンターとつながっているかも分からないし、経理もできないし、請求書もよく書けないし、停電したときにつけるランプだってよくつけられないし、ショウコのブーツを修理に出したところも知らない。去年ぶつけた目だって、まだよくなっていない。

でも、何から何まで私がやるしかないんだね。

だから、ショウコが笑ってくれると本当に助かる。カンジが一日も休まずに大学のプロジェクトを進めているのが本当にありがたい。

でも、ショウコが泣いているのも分かっている。カンジが泣いているのも知っている。

いまはしようがないね。

でも、きっといつか、PCだってプリンターだって直せるようになって、経理も専門家はだしになって、請求書だって書けて、停電だってまったく平気で、自分で靴の修理屋さんに行きつくようになるからね。この目だって、イワシを食べてきっと良くなるようにする。

きっとなるからね。
ちょっと待っててね。
あとちょっとだけ。



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チャンスは何回でも!

【2010.02.28 Sunday
17:52
人にあげられるものがあるといい。
いつでも、どこでも、無尽蔵に、笑顔で、それがあるといい。

実は、私は、この年になっても、考えるより行動している方が速いから、これまでどれだけ失敗もしてきただろう。

「ぎゃあ〜〜〜!」と叫んで、寝込みたくなるくらい恥ずかしい失敗もしてきた。

「私、後悔はしないんです」

という生き方は爽やかだなぁ、と思う。

でも、私は、結構、

「うわ〜、またこんなことになってしまった。ああ、あんなお節介をしなければよかったかな」
「ごめん、失言でした……」
「いや、早とちりでしたなぁ」
「ほおお、そういう考え方もあったのね」
「へええ、そういう理由だったのか」

などという反省、後悔の嵐に襲われることがしばしばある。

でもね、いいんだと思う。
そういうこともあるよね、と思って前進することにしている。
根が単純だから、そう思うことで夜よく寝て、明日を迎えることができる。

ある知り合いがいた。
私は彼女と親しいと思っていたし、彼女も私に英語のことなどを頼ってくれて、仲のよい友人だと思っていた。

でも、彼女が我が家に滞在していたとき、私のある一言が彼女を怒らせてしまった。

私はただただ単純に、ある果物を買う時に、彼女が高い単価のものを選んでしまったので、
「ああ、こっちの方を買えばよかったね」と言ったのだ。同じ品質で、パッケージだけが違うものだったから。

で、ケチな私は、レジで精算をする時も、もう一回同じことを言ったのだ。

それが彼女を怒らせた。

彼女にしてみれば、「南アの事情に詳しくないんだから、分からない。二回も人の失敗を口にすることはない」ということなんだと思う。

本当にそうだな、と反省した。

でも、私は、“お母さん”だ。

子どもたちにも、無駄なお金の使い方は厳しくいさめてきた。
でも、必要なもの、どうしても欲しいものにはお金を使うことに躊躇はしない。

レストランに行って、人の分までつい、「払わなくっちゃ」と思ってしまうのは、私が三人姉妹の一番上だからなのかもしれない。

それに、学生時代やお金があまりなかった時代、どんなに多くの人が私にご飯をご馳走してくれただろう。家に招いて、食事を食べさせてくれただろう。

海を越えても、時間を超えても、私はあの人たちへのご恩を忘れたことがない。

だから、年の若い人たち、アフリカでバックパックをしている人たちを見かけるたびに、私は彼らを家に連れてきて、“日本食ごかし”のものをふるまってきた。

アフリカの旅は厳しいもの。たまには日本食を食べたくなるもの。だからね、こういうお節介おばさんの出番があるのだ。

だから、友人に対して、二回も余計な口をきいたのは、ひたすら、

「ああ、もったいなかったね」ということだったのだ。

でも、彼女はそれがどうしても許せなかったらしい。

彼女は日本に帰り、それ以来、ぴったり音沙汰を聞くことがなくなってしまった。

さみしいなぁ、と思う。彼女はちょっと特殊な感覚を持つ人で、よくよく彼女を知らない人は彼女のことを理解できないかもしれない。彼女と私が親しい、と知った別の人が、彼女のことを「変わった人なのに……」とつぶやいたことも聞いた。

でも、私は彼女のことが好きだったし、もう一人の友人と同じ時期に過ごした街の話しや昔話を顎が外れるくらい笑いながらするのが大好きだった。

これを書くのに2年もかかってしまった。
2年も私はこのことを心の隅で後悔していたのかもしれない。

私は気が長いし、人との関係を簡単にあきらめたり、清算したりしない。でも、もしかした彼女は私の違うもっと深いところに何か嫌なことがあったのかもしれない。

だからこそ、彼女にぜひ、伝えたいことがあったのだ。

「一回の失敗で見捨てないでよ」

彼女とのことをずっと二年間も長く考えてきて、私は一昨日、結論に達したのだ。

「ねえ、一回や二回の人の失敗で、その人を判断するのは残念じゃない?」

ということ。

私はこれを自分の教訓ともしたい。

私も、「う〜ん」と唸るような場面に出会う時だってある。でも、その時、その背景は何なのか、と考える。

そうすると、大体の場合は、その人のその人側の理由があるのだ。そして、ここからが難しいのだけれど、それがその人の勘違いのときだってある。

だから、私は、「チャンスは何回でも!」と思う。

どんなに、がっかりしても、「残念!」と思ったとしても、その人が、「もう一回いいですか?」と言ってくれたら、「もちろん!」という態度で応えたいと思う。

これが私の、誰にでも、いつでも、あげられるもの。



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吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)