自分でやるんだね! |
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もう後2ヶ月も経たないうちに、夫が亡くなってから2年が経つ。 あっという間だったし、いや、なかなかしんどくも長い2年だったのかもしれない。 最初のショックの後は、“怒り”の感情に支配されていて、いつもなら、怒り、という感情はそう長続きしない私にはしみじみ辛かった。 怒りの感情の後に来たのが何だったのか、いまでも分からない。でも、季節は確実に変わっていった。新しい出会いが新しい仕事や人間関係を広げてくれた。 生前の夫はかなり私を甘やかしてくれていたのだと思う。 家の修理や会社の経理、そういったこまごまとした日常の業務は彼がすべてしてくれていた。 だから私には、修理にお金を払う、という習慣がまったくなかったのだ。 稔は、車から、エアコンから、ドアから、子どもたちのおもちゃから、私のコンパクトの留め金から、何から何まで壊れたものは修理してくれた。 そういう便利な人間が何の前触れもなく、姿を忽然と消してしまう、というのはなんとも残酷なことなのだ。 オートメーションで動くゲートが壊れる。 テレビが動かなくなる。 カラス窓が割れる。 電気の回線のどこかがショートする。 冷蔵庫が壊れる。 椅子の足ががたがたする。 ファックスが壊れる。 スキャナーが壊れる。 エクセルの数式が壊れる。 インターネットのルーターのパスワードが分からない。 パソコンの画面が壊れる。 浄水器のフィルターの代えが見つからない。 バイクのお客さんからの依頼がくる。 新車輸入のライセンスの書き換えの時期がくる。 そして、一番困ったのが、 夜中に足がつったとき、マッサージしてくれる人がいない、ということ。 天を見上げて、 「ちょっとでいいから帰ってきてくれる?」 と何回頼んだことか。 でもね、私は、つくづく、心が頑丈なオンナなのだ。 こういうことを幾百回か繰り返していくうちに、稔がいない毎日が日常となっていったのだ。 人が死ぬということは、人が死んだ、という事実を受け入れる、ということは、生身の姿ではもう目の前に現れない、ということが普通になっていく事なのかもしれない。 それに、私は稔に25年間、守ってもらっていた。これってそうないことなのかもしれない。 私はとっても強いオンナなのだが、稔は私の欠点や長所をよく知っていて、私の不得意分野をがっちりカバーしてくれていたのだ。 そして、稔の死後、息子のカンジはとってもやさしいオトコノコだから、私が大丈夫かどうか、常に常に彼なりに見守ってくれていた。 息子として、夫のいない環境をカバーしてくれていた。 その彼も1月の中旬に自分の新しい居場所を日本に求めて旅たった。 その出発の日が近づいてくるに従って、私にも覚悟ができてきた。 「自分でやるんだよね!」 という覚悟。 そうだ、私は昭和30年代に生まれ。 自分のことは自分でする、という価値観を叩き込まれて成長したはずなのだ。 だから、自分で物事を解決する、自分の手に負えないときは専門家の助けを請う、という手順を受け入れればいいのだ。 お金はかかるよね! でも、これだけ朝から晩まで人の軽く3倍は働いているのだから、そのくらいの人件費は捻出できないはずがない。 それにこんなこと、当然のことなのだ。一人でがんばっている人なんか、星の数ほどいるんだし! 娘のショウコは、もうすぐ18歳になる多感なお年頃。彼女にとって、自分の専門を持ち、仕事のオファーが次から次から私の元に来るのを大層、カッコいい、と思っているらしい。 が、仕事以外の面では夫が私を甘やかしていたのを知っている彼女も、私のことをかなり心配しているらしい。 彼女は、一人で生きていくオンナ、というのにものすごく憧れているそうだ。 結婚なんかしたくない、とまで言う。 なぜなら、本当の意味でバランスの取れた、仲の良い夫婦、というのをあまり見たことがないからだそう……。 まあ、若い彼女ゆえ、夫婦、というか、パートナーというものは表面的なことだけでは分からない奥深いつながりがあるから、そんなこともゆっくり考えて行ったらいいと思う。 2011年は、仕事があまりにも忙しく、嵐のように過ぎて行った。 2012年はもう少しじっくり、ゆっくり、仕事だけではなくて、自分がこれからどういう風に残りの人生を過ごして行きたいか、ということを考えながら、私生活では、ちょっとアドベンチュラスなモードも楽しんでみようかと、もくろんでいるところ。ふふふ。 人生って、一回きり。 やりたい事は、冒険だったとしても、やって行こう、と思う。 やらない後悔よりも、やった後の反省やら後悔やらのほうが人生は楽しいなぁ。 ![]() |
author : y-mineko
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