空の続きはアフリカ
コロナ渦中で起きていること

【2020.09.08 Tuesday 18:37

 

コロナ禍が世界中で猛威を振るい始めてから半年近く経ちました。

 

ここ南アフリカでも、3月の27日より全国規模でのロックダウン(都市封鎖)が大統領令で始まり、818日にレベル2までにその規制が緩和されました。

 

このロックダウンのレベルには様々な規制があるのですが、簡単に主だった規制を身近な例でまとめると、以下のようになります。

 

 

レベル

 

同居の家族以外との交流

 

レストラン

での飲食

 

家事労働・庭番などの単純労働

 

散歩を含む外歩き

 

飛行機

国内線 国際線

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

禁止

許可

許可(時間制限あり)

禁止

禁止

許可

許可

許可

許可

許可

禁止

許可

許可

許可

許可

許可

許可

 

上記のロックダウンが実施された時期は以下の通りです。

レベル5 327日より430日まで

レベル4  51日より531日まで

レベル3  61日より817日まで

レベル2  818日より

レベル1 未定

 

最も厳しかった最初のロックダウンのレベル5では、外出は医療を受けること、食料品を自宅の近く10キロ以内くらいのお店で購入することのみが許可されていました。それでも、レベルは徐々に緩和され、2か月後の5月よりレベル4になり、ようやく私の手掛けている仕事の一つ、日本食のお弁当屋さんの営業も再開できるようになったのです。

 

お弁当屋さんが早い時期に許可されたのは、私たちがデリバリー専門のお弁当屋さんだったからです。これは本当に幸運でした。日本語教育や通訳のような仕事はまだまだ休業状態ですが、せめてお弁当屋さんが営業できるのは、スタッフのためにも本当にありがたいことです。

 

ロックダウンレベル5では、外に出ることも簡単にはできませんでした。お弁当事業のスタッフも、通勤時には社用車での通勤にも関わらず、幾種類もの書類を常に持参し、警察の検問でそれらを提示する必要があったのです。実際に書類の不備で警察に逮捕される人々のことが毎日のようにローカルニュースになっていました。

 

それでも、家に食品の蓄えがあったり、ロックダウン寸前に食べ物や酒類などを買いだめできた層は恵まれていたのです。中には明日から簡単に買い物ができないと分かっていても余分に食料を変える経済的な余裕がなく途方に暮れた人たちもたくさんいたのです。

日銭を一日単位で稼いでる単純労働に従事している人々は本当に困窮しました。まず、工事現場や小規模のゴミの収集などの仕事が一切できなくなってしまったのです。

 

もちろん、そういった人たちを援助しようと立ち上がった団体はいくつかありました。が、到底全員にその恩恵が届くわけもなく、思いのほかロックダウンの段階が早めに早めに緩和されたのは、こういった現状があったのでしょう。このままでは本当に餓死者を多数出しかねない、という政治判断でした。

 

さて、南アのような途上国では、たとえ職があったとしても、その職種によっては非常に賃金が低い場合があります。最低賃金そのものが守られていない場合もあります。

 

かなりの低額で働いているその筆頭は、やや裕福な家庭であれば必ずその姿を見かける家事労働を担うメイドさんや庭番の労働者たちです。彼らは単純労働者と呼ばれ、最低賃金は一日1000円ほど。さすがに南アでもこれでは一家を支える金額ではありません。

 

ただ、今日、この記事でお伝えしたいのは、このなコロナ渦中でも起こっていた嬉しい出来事です。

 

レベル5では、家事労働をする通いのメイドさんたち、庭番の人たちはまったく働けなくなりました。実際、単純労働への規制が緩和されたのは6月に入ってからです。ただ、規制が外れた、と言っても、彼らの雇用主の全員が雇用を始めたわけではありません。それは、一重に彼らが通勤で使う乗り合いタクシーがかなり密の高い状態で運行されるため、安全だとは言い切れないからです。通勤の途中での感染が心配な雇用主は彼らの雇用を再開していません。

 

日雇いに近い状態で働いている彼ら。仕事をしなければ即、収入が途絶えます。が、このロックダウンのニュースが出てから私が住むコミュニティのWhatsApp(英語圏のLINEのようなもの)という携帯電話のアプリに毎日のように発信されたのは以下のようなメッセージだったのです。繰り返し、繰り返し、毎日このメッセージが流れてきました。

 

「皆さん、いろいろ厳しいけれど、メイドさんたち庭番の人たちに休業補償をしよう!」

 

南アフリカに限らず、アフリカでメイドさん庭番たちは決して優遇されている職種ではありません。まず、最初に雇用が切られるのが彼らです。

 

そういった中、本当に多くの人が彼らのお給料を保証しよう、と声掛けをしていたのです。これには、本当に励まされました。自分たちも大変、でも、もっと大変な人たちへの援助を忘れないようにしよう、という心意気が感じられました。

 

実際、弊社のスタッフに聞いてみても、多くの人が自宅待機の中、減額はそれぞれあったものの何らかの休業補償はもらっていたようです。

 

幸いなこと、弊社のお弁当事業では、全員が調理スタッフとして働きながら他の仕事全般もしてもらっているので、失業保険の方からの援助もあり、減額一切なしでお給料を支払えました。もちろん、お弁当事業ができなかった4月もお給料は通常通りでした。

 

さて、我が家には、お弁当スタッフの3人の他、マラウイ人の庭師が二人、交代で週4日ほど働いてくれています。彼らは正規では南アで労働できる許可は持っていません。つまり、公には何の援助も受けられないのです。ただ、現実問題として、マラウィやジンバブウェからは多くの労働者が来ていて、国境でのパスポートコントロールも彼らは別個のルールで入国することが可能なようです。この辺の事情はかなり複雑なので、詳細はまた別の機会に譲ることにします。

 

私は、このマラウィ人のスタッフ二人に通常の二倍ほどのお給料を払うことにしました。それは、彼らの別の雇用主(知人)が彼らに休業補償をしそうにないことが分かっていたからです。それぞれの事情があるでしょうから、簡単に批判することはしません。

 

ただ私は、自分が関わっているスタッフにはこういう時に手を差し伸べるのは当然のことだと思うのです。

 

これを偽善と呼ぶ人もいるかもしれません。不公平と思う人もいるかもしれません。でも、もう今の私には世間がどう思おうが、自分のしたいこと、正しいと思うことを実行することに躊躇はありません。

 

彼らが感染を避けるために家を出ず、子どもたちと共に健康で過ごす、という安全な生活を送ってもらうことが目的でした。もちろん、それに対する見返りはまったく期待しませんでした。

 

ところが、彼らがレベル4の段階になって庭仕事に戻って来て、こんなことを言ってくれたのです。

 

「マダムだけが支えだった。子どもの名付け親になってください」

 

実は、一人のスタッフに赤ちゃんが生まれていたのです。もちろん、お祝いも用意していましたが、こんなことを言われるとは想像だにしていませんでした。

 

私は、「えっ、そんな大切なことを私に?」とあたふたしていたのですが、彼から数時間置きに「名前まだ?」のメッセージが届くのです。

 

せめて一週間くらい時間をもらえるのか、と思っていたら、すぐに名前が欲しいということだったので、仕事を全部中断して、赤ちゃんの名付けに専念しました。マラウイの友人にもいろいろ聞いて、音が彼らの言葉チェチェワ語でも、日本語でも、英語でも呼びやすい、美しい名前を探しました。

 

美波
みなみ

 

ダーバンで生まれた美波ちゃんに、美しいダーバンの波がたくさんいいことを運んで来ますように、と願います。

 

コロナがなかったら、この美波ちゃん、まったく日本語とは関係ない名前をつけてもらっていたことでしょう。人生は不思議です。

 

人と人との関わりの豊かさに背中を押されながら生きているなぁ、と感じています。

 

author : y-mineko
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「プロサバンナ中止」、ご存じでしたか?

【2020.08.06 Thursday 15:32

開発援助、国際協力、という分野は、関わりが深ければ深いほど、その難しさ、複雑さ、そして自分の立ち位置というもの問われる世界だと思います。特に政府系でのこれらは、税金を使って、他の国への援助をどうして先進国がしなければいけないのか、その意味とは?自国の中でも自然災害やら貧困問題を抱えている厳しい事実もあります。

 

私は、かつて国際理解教育を軸とする英語を広めるために全国で先生や保護者たちに講演をしていた時にこういうお話をさせていただいていました。

 

「自分の子どもには幸せになって欲しいと親であれば思いますよね。でも、一人だけで幸せ子どもはいないと思うのです。子どもたちには他の幸せな子どもたちと一緒に遊んだり学んだりして幸せになれるのでは?それを発展させると、地域や国でも、永久に続く一人勝ちの幸せはありえないんです。他の地域、国々も同じように幸せになれるように努力していくことが大切なのではないですか?」

 

私の日本での語学教育の専門家としての最初の職場がJICAの青年海外協力隊の訓練所でした。純粋に途上国の人たちのためになりたい、と願う若い人たちの集まりでした。

 

そこで知り合った夫は大学時代にJOCV(青年海外協力隊)に合格し、ザンビアでの任期を終えてからJICAの職員になりました。彼は高校生の頃に知った協力隊の存在で大学の進路を決めたほど国際協力に人生をかける人間でした。が、職場のあまりの閉鎖性や理不尽な人事に憤ったのは本人よりも私でした。

 

組織に頼るのではなく、個人でできることで途上国に貢献しよう。それには雇用を増やすこと、と決心し、彼は21年務めたJICAを退職し、私は主宰していた民間英語教育団体の組織を解散して、南アフリカに2003年移住しました。2010年に不慮の事故で夫は他界しましたが、現在でも私と大人になった子どもたちは南アフリカを永住の地としています。

 

船田クラ―センさやかさんのこの記事をぜひお読みください。

 

https://afriqclass.exblog.jp/240505859/?fbclid=IwAR3U5NjKXd7M2IkKDEUybzZKT95zyZeqbobc41X8BBONqo1q1gSGFILFcbI

 

「国際協力」という言葉の元、JICAでこれほど長きに渡り、大規模な犯罪的なことが行われていたことをメディア等で若干知りつつも、今までよく検証もせず表立った行動をしてこなかった自分を恥じます。せめて、この船田さんの文章がより多くの人に読んでいただけますように。

 

貧しい人たち、貧しい国々は、彼らが望んでそうなったのではありません。また、経済的に貧しいことが人生そのまま貧しいわけでもありません。地球に住む私たち全員が穏やかな暮らしが送れるまで、真の意味でのみんなの平和は訪れません。そのための国際協力であれ、と願ってやみません。JICAにまだ残る、志のある仲間たちにエールを送ります。

 

 

author : y-mineko
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NHK、南アフリカへの謝罪はなしですか?

【2020.06.12 Friday 00:12

『これでわかった!世界のいま』と『国際報道』での黒人差別


日本には差別がない、と思っている人たちにとって、差別とは、あるいは差別を見たときにどうするか、という命題に向き合う絶好の機会が巡ってきたように思います。

 

私が住む南アフリカは、人種隔離政策という、人々を人種で差別し、ありとあらゆる面で「白人」でない、という事実だけでそれ以外の人々を抑圧してきた歴史を持つ国です。全人種参加の選挙(1994年)から26年経った現在でも、まだまだ完全に社会が平等になったわけではありません。

 

が、現在南アフリカに住む多くの人間が、「差別はある、が、差別はいけない」と肝に銘じて生活しています。もちろん、中には「アパルトヘイト時代の方がよかった」とか、「人種間には深い溝があって、それを埋めることはできない」と否定的な意見を持つ人もいます。

 

しかし、差別はあってはいけないのです。

 

私にとり「差別と向き合う」とは、まず、そこにある、自分の中にもある「差別」をしっかり認識すること。そしてそれを絶対に許容しないためにその理由なり原因なりを学ぶこと。そして、目の前にある「差別」を目撃したら、行動を起こし、意見を集約させ、その差別を是正させるよう行動しなくてはいけない、と考えます。

 

NHK総合テレビの番組「これでわかった!世界のいま」のツイッターに掲載した CG アニメーションに対し、6月7日放映された直後より、多くの人々がその黒人の描き方に抗議しました。

 

Quote Tweet
 
MASAHITO SATO    

@MASAHITOSATO1
· Jun 9
このアニメを見た人、これから見る人へ。 なぜこんなしゃべり方になるのか。どうして筋肉もりもりなのか。 これが偏見というものです。これこそが差別というものです。 「自分たちの責任でしょ」 そう思いますか。こんな動画だからそう思う人が出てくるんです。 #NHK差別助長やめろ #NHKStopRacistSkit twitter.com/nhk_sekaima/st…

https://twitter.com/MASAHITOSATO1/status/1270159013297164288

 

多くの人が憤っている理由は、「黒人」というステレオタイプでCG作成をすることに何の反省もないからです。私も自分のTwitterでこう不満を伝えました。

 

例えば日本を描写するときに、いわゆる崩れた着付けの芸者姿に頭にお箸をずっぷり刺した絵を見たら、どう思う?日本人だから、もちろん、キョエーって言いながら、空手キックしながらね。そういうこと。恥を知れ、NHK。
https://twitter.com/minekoyoshimura/status/1270219222141022209

 

在日本米国臨時大使ジョセフ・ヤング氏までがTwitterで、その内容を「侮辱的で無神経」とまで酷評しました。

 

そうすると、NHKの対応は以下のリンクで謝罪文を掲載し、Twitterの問題CGアニメを削除し、6月9日の19時のニュースでも時間を割いて謝罪しました。

 

https://www.nhk.or.jp/program/sekaima/sekainoima_doganitsuite.pdf

 

しかし、この一連の謝罪に誠意を感じられないのは、「掲載にあたっての配慮が欠け、不快な思いをされた方にお詫びいたします」という態度です。根本的な問題がNHK内で理解されていない、と考えます。人々が怒りをもって抗議しているのは、記事によって不快な思いをしたからではないのです。


人々を個人個人の別人格として尊重する、という認識がNHK内で共有されていたら、「黒人」というだけで、いわゆる、人々が漠然と持っているイメージを押し付けるようなこともないでしょう。

 

以下の記事は、『国際報道2020』の中で取り上げられた南アフリカのニュースで見過ごすことのできない部分があったため、抗議のためにこのブログに前回アップしたものです。NHKのBSの放送で、たった数分のことですが、なぜ、NHKという組織が間違った情報を流すのか。「アフリカ」という地域にかかる不必要な差別や偏見を促す姿勢は看過できない、と強く思いました。


http://yoshimura-mineko.sorairoan.com/?month=202005


この記事を発表してすぐ、南アフリカに関係する日本人、日本語を話すコミュニティから、「この報道をこのままにしておいてはいけない」という声が上がり、アフリカ日本協議(JAF)の理事である津山直子さんが中心となり、ZOOMを使って、緊急のセミナーも開かれました。


以下のリンクで当日のまとめがご覧いただけます。

 

http://ajf.gr.jp/report-webinar-06may20/?fbclid=IwAR24efX9TlcQzuLq9YqfKly72JLoatcvhtrSF-kj8n6WZnY3bkiYZmfKyM4

 

参加者は全員が、南アフリカを大事に思い、南アを意図的に貶めるような報道に関し、その報道姿勢を正して欲しい、と願う人ばかりです。

 

上記の私の記事は外務省でも共有されたようです。また、これを英語にして、在日本南アフリカ大使館にも詳細を説明させていただいております。

 

この記事を発表したのは、5月3日です。NHKには正式に抗議の文章を送っていますが、6月11日現在に至るまで、一切返事がありません。

 

NHKが真に国際的な報道を目指すのであれば、こういった声を無視するのは得策とは思えません。NHKと別府特派員、国際報道の担当者全員の猛反省を強く求めます。
 

author : y-mineko
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NHK BS1国際報道(2020年4月30日放送分)への抗議

【2020.05.03 Sunday 23:26

NHK BS1国際報道への抗議

 

2020年4月30日に放送されたNHK BS1『国際報道2020』に在南アフリカおよび在アフリカの日本語コミュニティから多くの抗議の声があがっている。

 

この番組では、NHKのヨハネスブルグ支局長の別府正一郎氏が現地からの報告をしている。しかし、実際に南アフリカに暮らす私を含む多くの人間が、彼の報告、および東京のスタジオにいるコメンテーターたちの発言には事実誤認、途上国への蔑視、差別があまりにも露骨であると認識している。このことが、簡単に安易な「訂正」だけで葬り去られないためにも、どこがどう間違っているか、何が事実と異なっているかを記録にしておくことが必要だと思った。


また、こういった誤認、差別、偏見、思いこみに満ちた報道によって、南アに家族・友人のいる南アの外にいる人たちを不必要な不安に陥れ、どれだけ心配をかけたか想像して欲しい。ロックダウンの中、日本へ戻れずに南アに留まっている人もいるのだ。

 

<計算しつくされた南アのロックダウン政策>
南アフリカの大統領シリル・ラマポーザ氏は、一連のロックダウンを国民に丁寧に説明してきている。

 

2020年3月23日 ロックダウンを同月27日午前零時より実行することを発表。発表から実施まで3日間の猶予を国民に与えた。この発表のとき、ロックダウンは21日間であることを表明。


2020年4月9日 ロックダウンが開始されてから2週間目の9日、ロックダウンを4月30日まで延期することを発表。このスピーチは歴史に残るべく優れたもので、国民に対し、どうして延長が必要か、どういった職種がロックダウン中に仕事をすることを許されるのか、など多項目に渡り詳しく説明。ソーシャルメディア、マスコミの報道でも、人種を問わず多くの国民・住民が大統領支持の意見を表明していた。


2020年4月23日 ロックダウン最終日(30日)の1週間前、ロックダウンには5レベルがあり、5月1日からは現在の最も厳しいレベル5より、一段階緩和されたレベル4に移行することを発表。同時に、数日中に、各省庁のトップよりどういったことがレベル4に緩和されるのかも発表することに言及。4月22日には、段階別の制限が詳しく書かれているチャートが、複数のルート(ソーシャルメディア含む)から公開されていた。


ラマポーザ大統領は、こういった政策を実施するにあたり、企業・個人への保証にも言及しており、金額は小額でありながらも、失業保険を主体とした給付制度なども開始されている。

 

こういった一連の発表のタイミング、および内容が、「偶発的に起こった事件による結果」でないことは自明の理であり、ロックダウン段階解除の理由が、NHKの国際報道の当初の番組広報時に使われていた『南アフリカが治安崩壊でロックダウン解除』には当たらない。

 

<煽るタイトル>
前項でも述べたように、Twitter上では現在で消されてしまっている『南アフリカが治安崩壊でロックダウン解除』とは、ヨハネスブルグ支局長の別府正一郎氏が書いたものではないのかもしれない。センセーショナルな見出しがなければ、アフリカへの関心を呼び込めないと思い込んでいる、アフリカに一歩も足を踏み入れたことのない、東京のNHKの一室にいる局員によって作り出されたものなのかもしれない。


しかし、NHKは受信料という豊かな財源を持つ組織だ。「行ったこともないアフリカ」の都市のヨハネスに支社を持つ組織だ。こういった彼らが思い込む、安易なタイトルの底に、アフリカへの蔑視・差別がないだろうか。


アフリカ、と言えば、ライオンが歩き、ゾウが水しぶきを上げる。子どもたちは飢え、女性たちは暴力に怯え、というイメージを多くの人が持つのは、こういったステレオタイプでしかアフリカを題材として放送してこなかった多くのマスメディアにも責任があると思う。


そういった根拠のないふわふわとした偏見を、確かなジャーナリズムを以って正し、報道し、真実を伝えていく、という姿勢さえあれば、事実と異なる、煽ることが目的のこういったタイトルを持ってくる必要もなかったはずだ。

 

<南アフリカにおける検査の特異性>
番組の中で、東京のスタジオにいたコメンテーターの一人が、チャートを示し、「4月29日には南アの感染者は5350人に上り、減少の兆しは見せていません。その中でのロックダウンの解除は大丈夫なのか」という発言をした。この発言で私が首をかしげたのは、数字の比較というものは、その分母が揃っていたり、環境的な条件が比較に値する場合ではない限り、数字が一人歩きするのでないか、ということだ。


南アで、新型コロナウイルスの検査を受けた人数は5月2日現在230,686名。(出展https://www.iol.co.za/news/politics/breaking-news-sa-now-has-6336-confirmed-covid-19-cases-123-deaths-47476019)それと対比して、日本での検査人数は152029名。(出展:https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/)


日本の人口が126,180,643人2019(令和元)年5月1日時点、南アの人口は5,778万人(2018年:世銀)。WHOでも奨励しているように、とにかく検査を徹底的にして、その後の対策を練らなくてはいけないのは世界共通の認識だ。


そうした中で、一万人当たりの検査数が南アが39.9人、日本が12.0人という事実を知っているからこそ、「南アの感染者は5350人にもなるのにロックダウンの解除は大丈夫なのか」という上からの目線の発言に、ここでもアフリカへの蔑視を感じてしまった。


さて、南アは、いわゆる途上国でありながら、どうしてここまで検査数を伸ばすことができたのだろうか。実は、南アはHIV/Aids の感染と闘ってきた歴史があり、かなりの田舎でも、HIV/Aidsのテストに慣れた熟練の医療従事者がたくさん存在する。彼らのこういった貢献などがまったく注目されていないのも不思議である。

 

<ロックダウン下での南アフリカの現実>
この放送は、経済的理由から各地で暴動が起き、その結果、ロックダウンを解除するしかなくなった、という事実と違う情報で番組の宣伝をしていた。確かに、暴動は数件起きている。が、あえて番組が報道しなかった部分に南ア独自の社会背景があるのではないだろうか。


最初の商店への襲撃は4月12日にープタウンの近くの町で起こった。が、注目しなくてはいけないことは、この商店とは酒屋であったこと。ロックダウン中、南アでは酒・たばこの販売は一切禁止されている。


番組で意図したかった「食べるものに困った民衆が商店を襲った」という映像を流していたが、実はその商店は食料品店ではなく、酒屋だった、という事実はあえて伝えられていなかった。


また、学校が襲撃されていることは事実だ。子どもの辞書が焼かれている光景を映し、支局長の別府さんがその焼かれた辞書を持って、「信じられません」と言っていた。これも、犯人たちがあえて辞書を焼き払ったとも取れるアングルだが、そうではないだろう。


学校が襲撃されるのは、学校はコンピューターが配置されている場所、と犯罪者軍団に認識されているからだ。そして、コンピューターは現金化がし易い物品である。子どもたちの将来をぶち壊したいから学校を襲撃して泥棒をして、証拠隠滅のために学校を焼き払ったのではない。また、こういうニュースが流れると、そういったことを真似する犯罪が連鎖して起こってしまうのは途上国の現実なのかもしれない。


南アは確かに、世界でも有数の犯罪が多い国だ。


が、このロックダウン中、以下のように2019年と2020年の3月において、殺人、強姦といった犯罪数が激減している。こういったロックダウンが生み出す南ア独自の社会現象こそが、ニュース性もあり、また、日本にいたのでは知りようがない現実だと思う。

 

犯罪

2019年

3月

2020年

3月

    減少率
殺人 326 94 -71.20%
レイプ 699 101 -85.60%
ハイジャック・強盗
(事務所・自宅含む)
8853 2098 -76.30%

 

(出展:https://www.iol.co.za/news/south-africa/south-africa-records-drastic-drop-in-violent-crimes-during-lockdown-46340549)

 

最後に、この番組は日本での視聴率がどのくらいあるのかは私の知るところではない。だが、多くの在アフリカの日本語を操る人間は、NHKの国際放送を見ている。南アではちょうど夕方の時間帯にこの番組が見ることができ、ニュース源として日本のジャーナリズムが世界の他の番組とどうニュースを捉えているかの違いを見るいい機会になっている。ニュース源として日本のジャーナリズムが世界の他の番組とどうニュースを捉えているかの違いを見るいい機会になっている。私はNHKのプレミアムサービスの会員で毎月受信料を払い続けている。

 

そして、在アフリカの多くの日本人にはBBC、CNNであれ、Al Jazeeraであれ、世界のニュースを英語でも知ることのできる人材が多い。その中でNHKがこれからも日本発の優良なニュースソースとして存在するのであれば、ぜひ、そのニュースをそのまま英語、フランス語などに直しても他の国のニュース番組と遜色のない質を保って欲しいと願う。今回、この国際放送のジャーナリズムは多くの在アフリカ日本語話者をがっかりさせ抗議の声を上げさせた。訂正の仕方もいまのTwitter上の姑息なものではなく、真摯に自分たちの姿勢を謝罪し訂正して欲しい。

 

 

author : y-mineko
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"It's not made in China" is not a joke

【2019.08.27 Tuesday 21:20

Prejudice or racism can come at you in some least expected forms. It is particularly true for someone living in South Africa as a Japanese person.

 

 “Where are you from?  Oh, cool, you are from Japan.  Japan is great although other Asian countries have a long way to go.”

“Love your culture.  It is so globally unique and wonderful.”

“Japanese cars are my favourite, but I wouldn’t buy any cars from other Asian countries.”

 

Do you not find these comments as prejudice against me?

 

It is great to be appreciated.

 

I have lived in different parts of Africa since the 1980’s.  I literally witnessed how hard many Japanese people tried to market Japanese products in Africa.  It wasn’t all that easy.  For many Africans, Japanese products were still very foreign in the 80s and 90s.  Getting recognition about Japanese products or culture sure is great.

 

But this does not mean that I am happy to get the credit at the expense of other Asian nations.  Those criticisms may not even have any realistic or factual grounds.

 

On top of that, many who adorn those “innocent” criticisms may not be aware of their own arrogance in saying so.

 

Whether they are conscious or not, I sense a superiority complex in their statements that say, "Japan is doing its best and keeping up with our standards."  This clearly places themselves above the “Japanese”.  Or is it clearer to put it this way: “Since Japan tried so hard, we can let Japan join our group, but the other Asian countries are not yet on par with our standards.”

 

This was once illustrated in the utterly insulting and disgraceful act of the Apartheid Government to have given Japanese residents the “Honorary Whites” title.   Japanese people were given that title purely because it was expected that it would give the Apartheid government some economic benefits.  This Honorary Whites title meant that they were announcing that the Japanese were just below the White South African status within the social and racial hierarchy.    

 

Now please look at the photos below.

 

(https://www.itsnotmadeinchina.co.za/gallery/0w9a3218-lr-jpg)

 

These are glass bottles of water produced in South Africa that use local artists’ illustrations on the front.

 

However, can you read the writing which brands their bottle?

 

“It’s not made in China”

 

I first saw these at a charity shop that I frequented to purchase local artists’ pieces.  For a long time I made sure my overseas guests first spent their money in this shop.

 

The shock I felt when I first saw these bottles still shakes me.

 

I was utterly disgusted to see how a brand name like this can be brought out to promote products in the market.  Didn’t they have any sensible member at their company to realise that this can be offensive?  And the shops who would stock this as acceptable merchandise to place on the shelves? 

 

In my view, this is a HATE speech, targeting a country.

 

Just imagine.

 

You are traveling to a foreign country and enjoying shopping.  Then you see a product and its brand is, “It’s not made in South Africa.”

 

I am offended because it is not acceptable to ridicule one country to promote a product.

 

And at this stage it is important to clearly separate some issues:  I am not talking about support of China or its foreign policies.  I am talking about the unfair activity of a company that uses a sneer to promote their own product.  What they are demonstrating is a lack of sensitivity toward human right issues.

 

I find the argument, “that since China currently has got such tremendous economic power, it is acceptable for it to be the target of some sarcasm,” deplorable.

 

Of course, in private thoughts and conversations, people are free to criticise whatever.  You can even write about it on whatever platforms you choose.  As a writer, freedom of expression is very important to me too.

 

My argument is that once it is used in promotion of a business product, it is entirely different.

 

Prejudice or racism towards ANYONE or any country or area/region must not be allowed.  This cannot be expressed strongly enough.  That’s right, China is a superpower.  But using “It’s not made in China” as a brand name is not right.

 

I did read the message of this company for using this brand.  The reason for the naming is that they wanted to promote their products differently from other big-name brands.  They wanted to stand out by saying this amongst so many products from China is not made in China.

 

They also say that they wish for people to take this as a joke.

 

When I complained to this Charity Shop, they gave me some reasons why they support the products.

 

“This is a good local company which supports the local artists.”

“We promote arts.  Freedom of expression is important to us.”

 

I was shocked to see this charity shop’s Facebook page, promoting this “It’s not made in China.” So, I made a negative comment, then I got some replies below.

 

“People lost their sense of humour.”

“China is doing some terrible things to our animals.  Chinese kill our Rhinos.”

 

I lost my words. 

My words were lost on them. 

 

Then realized that I needed to write my argument clearly.  The reason?  I think out of all the countries in the world, we live in South Africa.  I think we know how crucial it is not to allow any prejudice or racism.  What I fear is our tendency to get used to the uncomfortableness of prejudice that eventually leads us to bigger or more harmful prejudices or racism.

 

This is not humour.  China does exist.  By naming and ridiculing China for the sake of promoting a product at a cost of One Billion people?  Not justified. 

 

Of course, there may be some Chinese people who do not agree with me.  The company did mention they have received messages from Chinese who think it is cool. 

 

But as a company, if they did not mean to ridicule China by using the brand at the beginning, and their prejudice was pointed out, wouldn’t they have the social responsibility to consider dropping the brand?  

 

Freedom of speech.  Yes, we should protect our Freedom of Speech by all means, however this does not give anyone any right to say whatever they want to say.

 

Finally, “China kills our Rhinos.”  This falls under a category of argument, so called, “Whataboutism,” as in, “What about China killing our Rhinos?” But we are not talking about the Rhino poaching now. Mixing up issues like this confuses the original arguments and they are not to be compared. 

 

To close, allow me to share some comments from my Chinese friends.

 

“Sad.”

“That is racism.”

“But we get these kinds of criticisms all the time.  That’s just one of them.  Ungrounded and unfair.”

Lastly, a bit long, but my American friend of Chinese heritage gave me this comment:

 

Sounds harmless. All lives matter. That one sounded pretty good, too. Maybe it’s a joke. Maybe it isn’t. Maybe there was malice behind it. Many years ago, slanted eyes was just a joke. Or maybe it wasn’t. Chinese characters on TV had an overbite twice the size of Freddy Mercury’s. Just a joke, right?  I hope we can educate the world a little better. It may never be perfect, but one step at a time, let’s tell them that jokes at the expense of a billion people aren’t really all that funny. Jokes at the expense of even fewer people are worse.
 

I have been happily living in South Africa since 2003 as an East Asian immigrant.  I feel it is my duty, as a result of my love for South Africa, to publish my thoughts on this issue.

 

We are better than this.

 

 

author : y-mineko
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It's not made in China は差別です

【2019.08.25 Sunday 19:55

日本人としてアフリカに住んでいる私が実際に体験する “人種差別” は、結構複雑な角度からやってくることがあります。

 

「あなたどこの出身?ああ、日本。日本は素晴らしいわね。他のアジアの国はまだまだだけど」
「日本の文化は本当に世界に通用する素晴らしいもの」
「日本の車はみんないいけど、他のアジアの国はちょっと買おうと思わない」

 

これらがどうして “人種差別” なのだろうか、と思いますか。

 

日本を評価されるのは嬉しいことです。

 

私は1980年代からアフリカ大陸の様々な都市に暮らしています。その頃、日本の商社や政府関係者の方々がどれだけの努力を注いで、日本の製品をアフリカ人に受け入れてもらう努力をしていたのを実際に自分の目で見てきているのです。

 

そういった意味では、日本の製品が高くされるのは大変嬉しいことです。

 

だからと言って、日本を評価するのに、他のアジアの国々と比べてその国々に対してひどい評価をする、というのはどうなんでしょうか。まして、その“評価”が風評に基づいていたり、客観的でない場合は、どうでしょう。

 

そして、問題は、そういったことを言う人たちは、その発言の中に含まれる、自分たちの傲慢さにはまったく気がついていない場合がほとんどだということです。

 

意識していようがいまいが、こういった発言には、「日本はがんばって、自分たちの基準に追いついている」、という自分たちを最上階に置く姿勢があるのではないか、と思うのです。

 

「日本はがんばったから自分たちの仲間に入れてやる、でも、他のアジアの国々はまだね」とでも解釈したら分かりやすいでしょうか。

 

これはアパルトヘイト下の南アフリカで、日本人が “名誉白人”という称号をもらっていた“不名誉” にも共通します。これはまさに、「自分たち白人が一番偉いけど、あなたたちは経済的に私たちに恩恵をもたらしてくれるから、私たちの次に偉い階級を与えましょう」という極めて上から目線の差別的政策でした。

 

さて、この写真をご覧ください。

 

写真クレジット (https://www.itsnotmadeinchina.co.za/gallery/0w9a3218-lr-jpg) 

 

南アフリカ・ダーバンで製造されている飲料水で、ローカルな芸術家のデザインをいくつも採用していて、アイディア自体は優れていると思います。

 

商品名に注意してください。

 

“It’s not made in China”

 

そのまま翻訳すると、

 

「これは中国で製造されていません」です。

 

私がこの商品を最初に目にしたのは、いつも友人が日本から来た時などに連れて行っていたチャリティショップでした。

 

初めてこの商品を見た時のショックは今でも記憶に鮮明です。

 

これが商品名として企画され、企画会議に通り、販売網に乗ってしまう。そして、こういった差別的な商品名を有する商品を仕入れ、店頭に並べても何の疑問もいただかない店がある、という衝撃です。しかもこの南アフリカで。

 

想像してみてください。

 

皆さんが外国を訪問して、ショッピングに行き、ある商品に、「これは日本で製造されたものではありません」という名前がついていたとしたら。

 

私が憤る理由はそれだけではありません。ある特定の地域や国をあげて揶揄する、という行為は許すべきではないと思うからです。

 

私が中国の政治姿勢を支持するとか、中国のことを弁護するとか、そういう話ではなくて、ある特定の地域や国名をあげて、それを皮肉る、と言う行為が人権意識から外れている、と思うからです。

 

また、中国が経済的に成功しているから、こういった批判めいたものを受けても仕方がないのでは、という意見も不思議です。

差別は、それがどんなに大きく強力な相手でも、「してはいけないこと」という意識が大切なのではないですか。中国の威力があるから中傷をしてもいい、というのはただのやっかみにしか聞こえません。

 

この会社のHPを見る限りでは、企画理由は「他の会社と違うことで商品を営業したかったから」としています。南アには溢れるほどの中国製の商品があるから、それを否定することで目立ちたかった、というのです。

 

また、これをユーモアと受け取って欲しい、ということも言われました。

 

この商品を販売しているチャリティのお店からは、以下の理由を提示されました。

 

「この会社は良心的な企業で、南ア人アーティストたちの育成に貢献している」
「私たちは芸術を支援する団体でもあり、表現の自由を尊重したい」

 

また、このチャリティのお店のFacebookでこの商品のことを批判するコメントを書いたところ、たくさんの南ア人からのコメントに驚かされました。

 

「ユーモアのセンスがない」
「そんなこと言うなら、中国はもっとひどいことをしているじゃない。私たちのサイを殺しているのも中国人だし」

 

こういうコメントをもらって一体どこからどうやって反論していったらいいのだろう、と頭を抱えてしまいました。

 

私がこの記事を書く理由は、“差別”というのはどんな小さいことでも許したらいけない、と思うからです。小さなことだから、ユーモアなんだから、と許していると、私たちは差別していることに慣れてしまい、さらに大きな差別を許す社会に自分たちを先導してしまうからです。

 

これは、ユーモアではありません。中国は現存する一つの国なのです。その国名をあげて揶揄する、ということは、中国出身の10億人の人々の感情を犠牲にしている可能性がある、ということです。

 

もちろん、中国の方の中にはそう思わない方もいらっしゃるでしょう。このブランドを容認している中国人の方もいるようです。でも、10億人の中国人の中の一握りの方でも、これを不快に思うのであれば、私たちは耳を傾けないといけないと思うのです。

 

また、会社として、いくら他でいいことをしていたとしても、例え差別を意図していなかったとしても、「差別だ」という指摘があってもそれを改めないのは、責任ある企業のする行動でしょうか。

 

表現の自由を脅かす、という危惧については、逆に、表現の自由とは何を言ってもいい、ということではありません。

 

そして、中国だから、「サイなどの動物を乱獲しているから、このくらい言われても仕方ない」という客観性のない理由で中国を攻撃でするのも不可解です。

 

この問題は、中国が他で何をしているかが問題ではありません。これを英語でWhataboutism(吉村訳:こっちはどうなんだ説)といい、ある議論に別の要素を持ってきて、根本の議論を崩してしまう論法を指します。

 

私の中国人の友人にこれに関しての感想を寄せてもらいました。

 

「悲しい」
「差別がある」
「でも、こういうことは中国出身というだけでよく起こる理不尽なことのひとつに過ぎない」

 

最後に長めですが、もう一人の中国人の友人のコメントを紹介しましょう。

「昔は、吊り上がった目、というのはジョークだった。テレビにでてくる中国人はフレディ・マーキュリーの二倍はありそうな出っ歯がトレードマークだった。これだってジョーク?世界をもうちょっとよく教育したいなぁ。もちろん完璧な世の中はない。でも、一歩づつ一歩づつ。10億の人間を傷つけるジョークって、全然おもしろくないってこの会社に言ってやってくれ。それよりも少ない人間を傷つけるジョークはもっと最悪だって」

 

これらの中国人の意見を聞いたあとでも、”It’s not made in China” を「差別ではない」と思いますか。

 

差別はどこからか忍び寄ります。
自分が知らずに差別をしていることもあります。

 

が、これだけ様々なメディアを通して、会ったこともない人の意見を聞くことができるようになった今、「それは差別だ」という指摘を受けたとしたら、これまでの自分の行動を振り返ってみることが大切なのではないでしょうか。

 

私は自分の意志で、アフリカに住む日本人です。

そして、私は自分をアフリカに住むアジア人、と考える方がしっくりと来るのです。

 

アフリカに住んで、アフリカを応援したいからこそ、アジア人に向けたこういった“差別”にきちんと声をあげて抗議していくことも私の役割だと思っています。

author : y-mineko
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人々が作る建築家いらずの家

【2018.05.16 Wednesday 22:06


「建築家になっても、僕はお金もちだけの家なんか作りたくない」


と、散々、言い続けた息子・カンジが、ようやく地元の大学の建築学部の修士課程を修了しました。

 

南アフリカの大学の建築学部は、日本のそれとはちょっと趣が違うのかもしれません。こちらの資格は、どちらかと言うと、建築デザインの分野になるのでしょう。

 

“ようやく”というのは、ここまでの道のりが長かったのです。

 

まず、最初の学士まで4年、その後日本でのインターンが2年、南アに帰国して、一年間地元の建築事務所で勤め、古巣の大学に戻って、修士までさらに3年。合計年数は計算したくない気持ちです。南アで“建築士”の国家試験を受ける資格は、さらにこれから2年を南アフリカの建築家の元で働く必要があります。でも、修士を終了したことでできることもたくさん出てきました。

 

さて、お金持ちの家は作りたくないカンジは、建築家として、何を目指すのでしょう。

 

私は彼からその修士の論文やそのプロジェクトを最初に聞かされた時、大げさではなく、“命のつながり”を感じました。

 

彼のテーマは、Bamboo、竹です。竹は、再生可能なエネルギーとして今世界から注目を浴びている植物です。

 

 

実は、アフリカで“竹”というと、在来種の植物ではない、地下からの水分を汲み上げる、などという否定的なイメージが先行してあまり人気のある植物ではありません。でも、実際の竹は、地面に根を浅く広く張るため、地下水資源を枯らす危険性がありません。現在南アフリカは水不足が多くの場所で起こっており、外来植物にはとても敏感で、その評価があまり正確でない場合があるのが残念です。


竹は、現在、全世界で1400種が確認されています、これらは小さな茂みから20メートル級の巨大なものまで含みます。竹の最大の特性は芽が出て5年目から毎年収穫できる事です。南アで存在する巨大竹は建築資材としてはかなり優秀な可能性を秘めているそうです。


カンジの修士論文の課題は、アフリカの都市部ではない地域に住む人々のために、竹をどう建材として使うか、またそれを生かした全体的な仕組みをどう構築するかというものでした。

 

具体的には、人間が住まう過程で出てくる生活排水を竹に吸収させ、その竹を保存加工できる施設を既存の住宅に取り付ける、という仕組みだったり、その竹を使い建造物を毎年拡大する、という可能性が挙げられていました。

 

日本にルーツを持つカンジには、アフリカでそのまま育った人たちよりも、“竹”が身近な存在であったことは確かです。日本における竹の歴史的な影響もあるでしょう。彼の論文には、それこそ竹の活用方法を千利休まで遡り説明していました。

 

日本人二人を両親として、西アフリカ・リベリアで生まれ、彼はほとんどの教育をアフリカ諸国で受けました。日本の文化を自分の人生に積極的に取り入て行こう、という姿勢はいつの頃から顕著になったかと言うと、やはり21歳で父親を不慮の事故で亡くしてからかもしれません。

 

私は夫と一緒に、アフリカでたくさんの人々に会い、たくさんの経験をして、自分たち夫婦がこれからのアフリカの発展に少しでも寄与するのであれば、自分たちが事業主となり、一つでも二つでも雇用を増やすことだ、という考えを持って南アフリカに移住しました。

 

夫は2010年に、志途中で急逝したのですが、幸いにも私には語学教育や通訳という、日本人が少ないからこそ活躍できる仕事があったため、事業はそのまま続行させることができています。

 

さて、カンジが竹で何をしたいのか。

 

彼は、協力してくれるコミュニティを探して、その土地で竹を栽培し、収穫し、加工し、建築資材として市場に送り出し、それらを住民自分たちがサンプルを目で見ながら建築できるような一連の流れを創造したいようです。

 

荒れた荒野を緑地化し、皆の頭上に屋根を設ける、というのが彼の夢です。

 

そして、彼はそれを“Living School”と呼び、まだまだ住宅事情が需要に追いついていない内陸の村落や、都市にばらばらと出来ている違法な家屋群に何とかこの‶竹”の一連の利用方法を普及させようといろいろな方面から模索している最中です。
彼が説明してくれた中で、非常に心に響くものがありました。

 

「僕は誰もが簡単に作れる建築を目指しているんだ。竹を使うと、構造体とデテールがわかりやすく、最終的に出来上がった“家”は、誰がどう見ても、簡単で優しくて、みんなが“これだったら自分たちでも作れるな”と思ってくれるモノにするのが目的なんだ」
つまり、「みんなが真似て作れる建築家いらずの家」を作りたいのだそうです。

 

「お金のない人たちはそれぞれの生活で手一杯なので、地球温暖化や汚染問題など配慮するのが難しい。そこで、竹のシステムを生活に導入することにより汚染された水は資源に変わり、今まで移動しなければならなかった建材が家裏で採取できるようになる。もし他者が自分も竹を育てて家を建てたいという状況が生まれると、このシステムは勝手に幅広い地域を歩き渡り緑地化しながら皆の屋根を作っていく」

 

アフリカ郊外では、お金が一遍には用意できないために、屋根を作り、この部屋をひとつ作って、キッチンはその後で、というようにかなり最初の設計図なしでがんがん家を建てているケースがあります。

 

それに、途中で放棄されている建築物がアフリカの田舎では見かけることも多いのです。これは建築途中で施工主が何らかの形でお金が尽きたか、寿命が尽きたか、で最終的な“家”までたどり着かなかった可哀想なケースです。再生可能な竹がすっぽりと建造ループに入っていくのを創造していただければ、こういった中途半端な夢半ばで放置される建造物だって、少なくなるはずです。
「それに、竹を植えて、収穫して、加工すれば、材料だってお金がかからない。竹を使った工芸品や家具などの製造販売もできるしね」

 

まだまだ彼の始めたプロジェクトが、きっちりと運営できるような資金計画なども緒に就いたばかりです。が、ありがたいことに、同じ大学で建築を学び、建築士の資格のあるビジネスパートナーとよちよち歩きながらも建築事務所を発足することもできました。
将来は、政府が認める公けな建築材料として“竹”を登録することも必要となってくるでしょう。

 

修士号の授与式に先駆けて大学が設けてくれたお祝いの席で、修士課程の教授が、彼のプロジェクトを評してこんな言葉を私にかけてくれました。

 

「彼の論文を読んで私は泣きました。彼がしようとしていることは、“優しい”んです。優れた建築家の論文はこれまでにもたくさん読んできたけれど、彼のしようとしていることは、人間に対する優しさに溢れています」

 

幼い頃から、カンジは感受性が人とは違い、また言語表現があまり得意ではなかったことから、多くの場で誤解も受けてきたし、人に迷惑をかけたこともたくさんありました。


が、彼が“建築”という職業に出会い、いろいろ試練にもつぶされそうになりながら、そして、人より多くの時間がかかったとはいえ、ここまでたどり着いたのは、一重に自分の未来をあきらめなかった彼の努力の賜物です。


自分の子どもが自分を乗り越えて、さらに進化していく過程を見ることができるというのは、親にとってこれ以上の喜びはありません。まだまだ失敗も、挫折もあることでしょう。でも、その志が自分以外の外に向かっている限り、彼はきっと笑いながらその関門を乗り越えていくはずです。


夫も空のどこかで、カンジがつなごうとしている彼の思いを受け止めて、満面の笑顔になっているかな、と想像しています。

 

 

author : y-mineko
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キャシー、そのガンとの闘い方

【2017.06.10 Saturday 22:09

 

「私の人生、本当に、本当に素敵だったのよ。その最後をガンとの闘いで終わらせたくないの」

 

こう言ってほほ笑むキャシーと私のお付き合いは、いまから10年以上前、彼女が私にくれた一本の電話から始まりました。

 

「あなたのことが書かれている新聞の記事を読みました。今度日本に旅行に行く前に、ぜひ日本のお話を聞かせてくれませんか」

 

私が南アフリカに移住する直前に鈴木出版さんから出版させていただいた、『チャレンジ!地球村の英語』の売り上げの一部を地元の小学校に外遊びの器具を寄付したことが地元の新聞に掲載されて、そこから彼女が私にたどり着いたのです。

 

こんな出会いの後、キャシーは文字どおり私たち家族にとって、ダーバンでの大切な家族の一員になってくれました。

 

家族の行事に参加することはもちろん、去年は1200キロもダーバンから離れたグラムスタウンへのロード旅行にも一緒に行きました。娘のショウコが婚約者アディアを連れて来た時、じっと彼の話を聞き、「私たちってなんて幸運なの、こんな素敵な青年が私たちの家族になってくれるなんて」とまで言ってくれるような存在になっていたのです。

 

そのキャシーが、先月、卵巣がん、しかもステージ4の診断を受けました。

 

動揺する私たちに、キャシーは明るく、穏やかにそして笑顔を浮かべて冒頭のようにつぶやいたのです。

 

キャシーは、1938年英国のボルトンという工業の街で生まれました。その頃の若い男女が出会う場であった、ダンスホールで知り合ったアランと19歳で結婚しました。

 

彼女の人生の最大の悲しみは、そのアランとの間に生まれた二人の子どもを、それぞれ6週間と14週間で亡くしたことでした。


二人の赤ちゃんとも、皮膚の再生に関係する同じ病気で亡くなりました。が、その後離婚したアランは、再婚した相手との間に一人子どもを授かっているので、どうやらアランとキャシーの何からの遺伝的要因がかみ合わなかったらしいのです。

 

1965年、彼女はアランと英国から東アフリカに移り住みました。タンザニアに6年、ケニアに2年。英国人駐在員家族として、素晴らしい数年間を東アフリカで過ごしたそうです。

 

ここでの生活が彼女の世界を広げた、と言っても過言ではないそうで、多くの異文化との遭遇によって、これまで彼女の知っていた世界がどんどん広がって行きまた。

 

東アフリカでの8年間が過ぎ、英国へ戻って2年が過ぎました。アランとも感じていた英国での暮らしの閉そく感が彼らをまたアフリカへ向かわせました。その時に選んだ土地が南アフリカのダーバンだったのです。

 

「人生のハイライトは?」

 

という私の質問に、彼女は何の躊躇もなく、こう言いました。

 

「2回も恋に落ちたことよ」

 

アランとの27年続いた結婚が破たんして、一人暮らしを始めた彼女が出会ったのは、当時ダーバンでギャラリーを経営していたゴードンでした。12歳年上のゴードンは、自分も芸術家であり多くの絵画や彫刻の作品を彼女に残しました。

 

彼女が本当に嬉しそうに話してくれたのは、その当時ゴードンがどれだけ素敵で魅力的で、奥様に先立ていた彼がダーバンの多くの女性の憧れの的だったか、ということ。そして、彼が私を選んでくれたのは、本当に思いがけなかった、と頬を染めました。


そのゴードンも病に倒れ、彼女は献身的に看病に当たりました。3年ほどの闘病生活で彼は亡くなりました。それでも、ゴードンとの20年間の生活は精神的に豊かで愛情に溢れ、外国へも旅行したり、素晴らしいものでした。さらに彼の子どもたち、孫たちは現在、キャシーに取ってかけがいのない家族になっています。

 

ゴードンが亡くなって、彼女がしたことは、若い頃からコツコツとお金を貯めて目標にしていた日本旅行でした。それが私との出会いのきっかけでもあります。

 

その他、近所の孤児院で長年子どもたちの宿題などの面倒をみるボランティアも続けていました。

 

こういう風に彼女の人生を辿ってみると、本当に山あり谷ありの中にも、彼女がいかに毎日を丁寧に自分の信念を持って生きてきたかが見えてきます。

 

「ガンの告知を受けてね、精神的にまったく動揺しなかったの?」

 

と、尋ねた私に、

 

「最初はね、確かにショックを受けたわ。でも、もう来年で私は80歳。もうどれだけいい人生を過ごしてきたか。感謝するだけなのよ」

 

彼女のガンの治療の計画は、手術はしない、放射線治療もしない、ということ。とにかく、彼女のQuality of Life(生活の質)を維持するためだけの治療に専念する、ということで本人、家族、医療チームも合意しています。

 

現在、こちらでChemotherapyと呼ばれる化学療法が始まり、9週間に及ぶ、毎週一回3時間半、点滴を受けています。ここで3回目の点滴が終わりました。

 

体調はまあまあだそうです。とにかく、卵巣から始まって、腹部にかなり転移してしまっているガン細胞を小さくして、彼女の体への負担を減らすことが目的です。

 

南アフリカの医療制度は、日本のそれと大きく異なります。まず、国民健康保険というものが存在しないので、保険は各個人が自分で契約しなくてはいけません。

 

彼女の場合非常に幸運で、彼女が20年勤め、60歳で定年退職を迎えた職場、ダーバンの国立大学、Kwazulu Natal University は、1984年以前から勤務していた職員は、退職した後にその月々の契約金を払うことなく、勤務時と同じ保険内容が得られる、という保証をしてくれているのです。彼女は大学のエンジニアリング学科の秘書をしていました。


お金の心配をしないで、治療が受けられるのは本当に幸運です。また、南アフリカは、それこそ、お金さえあれば、先進国に負けないレベルの治療を受けることが可能なのです。


本当に、一回も感情的にならないなんて、どれほどの精神力なのでしょう。そして、彼女の独立心の旺盛なこと。とにかく、どんなときでもどんなことでも、自分でなんでもしたいのです。


彼女は基本的に一人暮らしです。ですから、いま、食事の世話がやや心配で、こちらの友人一同でなんやかやと世話を焼いていますが、それも彼女にとってはどうも負担に感じているようなのです。


「私は大丈夫だから!」

 

と、何回も何回も言われてしまいます。

 

が、そんなことで引っこむほど、関係は薄くないのです。皆が交代でキャシーの「大丈夫だから」を無視して、お節介を続けています。


そんな彼女がこうも言いました。


「一回だけ感情が溢れてきたのよ。それは、トニー(ゴードンの息子)がね、いま駐在しているシンガポールから電話をかけてきてくれた時。電話だったからかしら、励まされて、おいおい泣いてしまったの。受話器からね、トニーの励ましのパワーがどんどん感じられて、肩がふわっと軽くなって、気がついたらわんわん泣いていたのよ」

 

これを聞いて、心から安心しました。

 

「多分、ああやって泣くことも私には必要だったのかも」

 

と、言う彼女です。

 

正直で、一生懸命で、お茶目で、ポジティブで、賢いキャシ―。人生のお手本がこんなに近くにいることに感謝するのみです。


キャシーと私の約束は、来年のショウコとアディアの結婚式には必ず出席する、ということ。それまで、いや、それ以降も、キャシーが安心して、心穏やかに過ごせるよう、お手伝いするつもりです。

 

 

 

author : y-mineko
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娘•ショウコが婚約しました

【2017.01.01 Sunday 05:30

娘のショウコが婚約しました。

 

お相手は、6歳から南アフリカに住むイスラエルからの移民の青年アディア君です。ショウコより9歳年上の彼は、穏やかで優しく、しっかりしていて、安心して娘を新しいステージに送り出すことを託せる相手です。

 

南アでは、私たちも日本からの移民です。私たちも、差別やいわれのない中傷を受けたこともないわけではありません。が、なんと言っても圧倒的に見かけの違うアジア人の容貌をしているので、その程度はたかが知れています。

 

それに、差別をしてくるのは、私たちを知らない顔の見えない人々です。個人的に私たちを知っていて、差別してくる訳ではないので、そういう志の低いところからの攻撃は無視するか、こちらの度量ではね返せばいいのです。


でもね、それだって、差別はあるのです。

そして、それはどうしたって、どんなレベルでも、嬉しいものでも楽しいものでもありません。

 

 

でも、実際にそれを経験しないと、どんなに共感力のある人でも、その"当事者たち"と同じ土俵に立つのは難しいでしょう。

 

そう言う意味で、南アで生きていくと決めているショウコに、こういった負の感情に一緒に向き合っていけることもできるパートナーとめぐり合えたことは天性の運の良さの表れでしょう。もしかしたら、天国のお父さんやおじいちゃんおばあちゃんの計らいでもあるのかな?


私は人生は冒険だと思っています。そして、常々、考えすぎはよくない、と言っている人間ですので、今回のことも大賛成しました。


さて、実はショウコさん、ここで南アの大学を卒業する予定だったのですが、一昨年から南ア中の大学で吹き荒れている学費をめぐる生徒たちのストライキのおかげで年明けまで最終試験は持ち越しです。でも、それが済んだら2017年は日本に長く滞在して日本語力に磨きをかける計画を立てていました。
 

日本行きはもちろん実行するようですが、彼との関係もはっきりさせてから南アを出発したかったようです。


というわけで、今回、彼女から彼にプロポーズをしたそうですよ。今アメリカのオレゴン州の雪の中にいますから、片膝を雪につけて、"Will you marry me?" 

 

と決めたそうです。


普段からフェミニズム思考の強いショウコです。こういう伝統的な犢垰″? にも普段の心情を反映させて、母は心から嬉しかったです。

 

 

でも、これには落ちもあります。

 

彼から、形式通りに、「お嬢さんと結婚させてもらえますか?」と聞かれた私の最初の一言は、"Are you sure?" (ええ?本当にいいの?)、とつい本音が出てしまったのです。だってねぇ、ショウコの母ですから!


三人で大笑いしました。

 

 

私はこれまで多くの場で、多くの子どもたち、大人に異文化を受け入れることの楽しさを伝えてきた人間です。自分が率先して、その具現者でありたいとも思ってきました。

 

私にとって、母方のルーツはポーランドから、父方のルーツはイスラエルからのユダヤ系家族が自分たちの家族になってくれるということに心の底からの喜びを感じています。

 

いま、米国のオレゴン州におりますが、その米国人の家族も大喜びしてくれて、なかでも、ベバリーおばあちゃんが、「Welcome to the family! とアディア君に言ってくれているのを聞いて、涙腺が緩みました。

 

2016年は仕事面において、なかなか厳しい局面もありました。でも、くじけている場合ではないですね。もうちょっと私の出番はありそうです。

 

肌の色が違っても、信じる神様や習慣が違っても、人間は分かり合えるんだ、という単純で力強いメッセージを自分の生活を通して発信していくことが大切、ということを実感する2016年の大みそかです。

 

 

author : y-mineko
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UBERが後押しするアフリカの青年の夢

【2016.11.01 Tuesday 22:35

UBER(米国発配車サービス)は日本ではまだあまり発展していないようですが、その対極にあるのが、アフリカ大陸での急成長ぶりです。


UBERは2009年に米国のサンフランシスコで誕生し、2012年には国際的にその事業を展開し始めました。アフリカには2013年南アフリカのヨハネスブルグでその営業を始めています。2016年10月現在、以下のアフリカの都市でUBERが使えるようになっています。


南アフリカ:ヨハネスブルグ・プレトリア、ケープタウン、ダーバン、ポートエリザベス
ナイジェリア:アブージャ、ラゴス
エジプト:カイロ、アレキサンドリア
ケニア:ナイロビ、モンバサ
ガーナ:アクラ
ウガンダ:カンパラ
モロッコ:カサブランカ

 

実は、私が実際にUBERを使ったのはごく最近です。


南アフリカ・ダーバンに住み仕事をしている私は、通常、移動には自分の車を使います。が、今回、続けてタンザニアとヨハネスに合計2週間出張する機会があったので、自宅と空港の往復にUBERを使ってみたのです。

 

最初のUBERは、ダーバンの町中から空港(約19キロ)まででした。料金はR146、日本円にして1100円ほどです。通常のタクシ―ですとR220から、ということですので、料金的にはUBERが35%ほどお得ということになります。

 

タンザニアではUBERを使う機会に恵まれなかったのですが、ヨハネスでは友人と一緒に頻繁にUBERを利用しました。ヨハネスに住む友人が、”Let’s UBER!”とUBERを動詞として使っていることに驚かされました。もう、動詞になるほどUBERがヨハネスでは市民権を得ていたのです。

 

ダーバンの空港から我が家までは、R474(3600円)で、かなりお得感がありました。以前、空港でタクシーを使って、我が家に着く前に、あまりの高さに途中下車しようとさえ思ったことがあるからです。ちなみに我が家から空港までは60キロです。
さて、国際的にも同じだとは思いますが、南アでのUBERの使い方はこうです。

 

    利用者のスマートフォーンに、UBERの無料アプリをインストールする。
    そのアプリに利用者の個人情報と使用したいクレジットカードの情報を入れる。
    クレジットカードは、ビジネス用と個人使用とに分けたい場合、複数のカード情報を入れることができる。
    UBERを使用したい、と思ったら、アプリを立ち上げて、利用者の所在地を確定する。
    行先を入力する。
    利用者の現在地から一番近くにいるUBERドライバーに連絡が入り、何分で利用者の現在地に到着するか、といった情報が届く。
    ドライバーの名前と車両のナンバープレートの番号情報が届く。これは、UBERの車両には、一切UBERのロゴなどが示されていないため。
    想定される料金情報が提供される。
    ドライバーの現在地情報がどんどん更新される。
    ドライバーが到着し、利用者がUBERのアプリで示されている車のナンバープレートを確認して乗車する。
    高速料金などは、ドライバーが負担し、料金に加算される。
    目的地到着。
    チップも料金もすべてカード決済のため、そのまま下車する。

 

*私の携帯に届いたスボンギレの写真と料金の提示

 

これが一連の流れです。正直言って、アフリカで暮らしていて、ぼったくられる可能性が非常に高い外国人である私にとって、これはかなり画期的な体験でした。

 

また、UBERの運転手さんたちのフレンドリーなことと言ったら、感激ものでした。

 

性格柄?商売柄?、根掘り葉掘り彼らに質問してしまいました。まず、UBERのドライバーになるためには、自分の自動車を持っていなくてはいけない、ということ。新車である必要はないようですが、中古車でも4年以上使った車はダメ、ということです。また、車両保険なども必ず入らなくてはいけないルールがあるようです。

 

UBERが営業許可を受けていない、いわゆる“白タク”ではないのか、という疑問もあるようですが、ネットで調べてみる限りでは、南アでの営業許可は収得しているようです。

 

UBERのドライバーがUBER社に手数料として持っていかれるのは売り上げの20%だそうです。UBERに職替えして、ものすごくシアワセだ、という、運転手さん・スボンギレ(仮名)にずばり聞いてみました。彼は前職の営業中に怪我をして、その保険金を頭金にして、新しめの中古車を購入しUBERのドライバーになり、現在に至っているそうです。

 

「すべての経費、それこそ、車のローン、ガソリン代、車両保険代、修理費、タイヤの代金などなど、すべて引いて月額どのくらいの収益があがるの?」

 

「すべての経費を引くと、手元に残るのは、平均でR15000(11万3千円)ほどかな。UBERのドライバーになる前の運送会社では無理を言って12時間くらいシフトを組んで働かせてもらっても、給料の総額が税金を引かれる前でもっと少なかった。実際手取りはR9000(68000円)くらいだったから、僕は今、ものすごく嬉しいんだ。家族もね!」

 

実際、現金収入としてのこの金額は、大学を卒業した公立学校の先生の月給がR8000〜R20000くらいだということを考えると、破格です。

 

スボンギレは、目を輝かしてこんなことも語ってくれました。

 

「このいま使っている車のローンもあと少しで終わる。そうしたら、もう一台の車を買うための頭金が貯金できるんだ。あと2年以内にはもう一台新車を買って、運転手を雇って二台目のUBERのオーナーになるつもりなんだ。僕にこんな希望を与えてくれたUBERにはとっても感謝しているんだ」

 

彼の境遇を聞いてみると、シングルマザーのお母さんに育てられて、一番年長の彼は、下に5人の弟がいるそうで、弟たちの学費はすべて彼が面倒を見ているそうです。

 

南アフリカで多額の資本も持たず、学歴も特殊なものを持っていない青年が、社会的にのし上がって行くのは不可能ではないにしても、かなり困難です。

 

まず、将来の展望をこんなに希望を持って語ること自体が非常に珍しいのです。さらに私が感嘆したのは、彼のこんな発言。

 

「僕はダーバンにいるUBERの運転手の組合を作って、車両保険会社と保険料の交渉をしたいんだ。中にはあまりいい保険にはいっていないドライバーもいるんだよ。大勢で加入したら、保険料だってもっと値引きされていいはず」

 

スボンギレの視野には、自分だけでなく、他の同業者のことも入っているのです。弱冠28歳でこの矜持。これはUBERの事業形態が、アフリカにおいて起業家精神を持つ若者を後押しいているか、ということの証明です。

 

UBERはここにきて、アフリカならではのサービスも始めています。それはずばりキャッシュでの支払いです。このキャッシュでの支払いを試したケニアでのナイロビではそれまでの3倍に利用者が増えた、ということです。

 

ただUBERには、やや懸念されることもあります。

 

それはずばり、税金の支払いです。なんと、スボンギレは、収入に関わる税金はUBERに鞍替えしてから一回も払ったことがないそうです。これでは他のタクシー会社から文句が出るのは当然です。南アは年間収入が約60万円以上になると、所得税がかかりますから、元締めの南アUBER社がドライバーたちを“個人事業者”として、厳しく指導していくべきのことでしょう。難しそうだけど……。

 

残念ながら、地域によっては、お客を取られて不満のある他のタクシー会社のドライバーたちがUBERの車にいちゃもんをつけたり、暴力沙汰になったり、ということも起きているようです。

 

新しい社会現象が起きると、旧体制から嫉妬されたり、また後追い的に制度ができてくるのは世の常です。つまり、新しい動きに社会が追いついていない、ということですね。でも、ぜひこういったスボンギレたちドライバーの夢がつぶされないよう、柔軟に対応していって欲しいと願っています。

 

スボンギレ、がんばれ〜!

 

author : y-mineko
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吉村 峰子
writer
English & Japanese
language instructor
interpreter
(Japanese - English)